国会議員に限ったことではないが、都道府県会議員、知事・・・・・と言う人たちは、悪い言い方をするなら「人気稼業」と言えなくもないだろう・・・・。
「人気稼業」と言えば、俳優・歌手などに代表される「芸能人」を連想するだろうが、議員や知事なども、所詮は人気に左右される芸能人と同じ「人気稼業」と言ってよいだろう。
ただ、両者の間には「決定的な違い」があることは確かなのだが・・・・。
その違いとは、芸能人の場合は「人気が落ちても引退しない限り芸能人でいられる」のに対して、議員や知事の場合は「人気が落ちると次の選挙で落選して、議員でも知事でもなくなってしまう」と言うことで、芸能人は「最後まで自分の持ち味(主義主張)を前面に出せる」が、議員や知事は「支持者の意向に従わなければ落選してしまうので、主義主張を前面に出すことは難しい」と言うことになってしまう。
同じ人気稼業でも、大きな違いがあるのだが・・・・。
昨夜の「ブログ通信簿」の中で、私に対して「政治家を目指しましょう」とあったのだが、以前私に「町会議員に・・・」と言う話があったことを書いているのだが、正直な話「その気は全く無い」のである。
これは仮の話であるが、仮に私が議員になったとしても「支持者の喜ぶようなことはしない」と言うことが「基本原則」なので、すぐに支持者がそっぽを向き「それで一巻の終わり」と言うことになってしまい、「議員になる意味が無い」のである。
これは、私自身が過去に何度か「選挙の裏側」に首を突っ込んだときに身にしみて感じた事が根底にある。
身にしみて感じたこととは、議員を支持する人(投票する人ではない)は、「止むを得ず(仕方なく?)支持する人」と、「あわよくば余禄を・・・・」と言う人ばかりなのである。
一方の「投票する側の人」にしても、「あの人なら何かをしてくれるだろう」と言う期待を込めて投票するのだろうが、「何かをしてくれるだろう」と言う「何か」は、「自分にとって利益になること」と言うのが真実ではないだろうか?・・・・。
このように、有権者が「私利私欲」で政治を考えているのであれば、日本の将来は絶望的だろう。
一度本当の意味で「痛い目」に合わなければわからないようなので、民主党に政権を任せて、その「本当の痛さ」を思い知らせるのも一つの手ではあるが、その後の混乱を考えると複雑な心境ではあるが・・・・。
「人気稼業」と言えば、俳優・歌手などに代表される「芸能人」を連想するだろうが、議員や知事なども、所詮は人気に左右される芸能人と同じ「人気稼業」と言ってよいだろう。
ただ、両者の間には「決定的な違い」があることは確かなのだが・・・・。
その違いとは、芸能人の場合は「人気が落ちても引退しない限り芸能人でいられる」のに対して、議員や知事の場合は「人気が落ちると次の選挙で落選して、議員でも知事でもなくなってしまう」と言うことで、芸能人は「最後まで自分の持ち味(主義主張)を前面に出せる」が、議員や知事は「支持者の意向に従わなければ落選してしまうので、主義主張を前面に出すことは難しい」と言うことになってしまう。
同じ人気稼業でも、大きな違いがあるのだが・・・・。
昨夜の「ブログ通信簿」の中で、私に対して「政治家を目指しましょう」とあったのだが、以前私に「町会議員に・・・」と言う話があったことを書いているのだが、正直な話「その気は全く無い」のである。
これは仮の話であるが、仮に私が議員になったとしても「支持者の喜ぶようなことはしない」と言うことが「基本原則」なので、すぐに支持者がそっぽを向き「それで一巻の終わり」と言うことになってしまい、「議員になる意味が無い」のである。
これは、私自身が過去に何度か「選挙の裏側」に首を突っ込んだときに身にしみて感じた事が根底にある。
身にしみて感じたこととは、議員を支持する人(投票する人ではない)は、「止むを得ず(仕方なく?)支持する人」と、「あわよくば余禄を・・・・」と言う人ばかりなのである。
一方の「投票する側の人」にしても、「あの人なら何かをしてくれるだろう」と言う期待を込めて投票するのだろうが、「何かをしてくれるだろう」と言う「何か」は、「自分にとって利益になること」と言うのが真実ではないだろうか?・・・・。
このように、有権者が「私利私欲」で政治を考えているのであれば、日本の将来は絶望的だろう。
一度本当の意味で「痛い目」に合わなければわからないようなので、民主党に政権を任せて、その「本当の痛さ」を思い知らせるのも一つの手ではあるが、その後の混乱を考えると複雑な心境ではあるが・・・・。