へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

ブログ通信簿

2008年09月19日 21時31分00秒 | Weblog
遊び半分で「ブログ通信簿」に参加した結果がこれである。
文章にその人の性格が出るようで、「よいリーダーを見つけて、ブレインになりましょう」と言う部分など「まさにそのとおり」で、私が理想とする役職は「大久保彦左衛門のような立場」である。
天下のご意見番として「肩書きなど気にせずに物を言う」と言うことは、それを可能にするだけの「知識と能力を持った指導者」がいなければ無理な話で、それに近い人はいたが、「近い」と言うだけで終わってしまった。
「物事のよい面にも目を向けましょう」、確かにそのとおりなのだが・・・・、そんなことをしたら「へそ曲がり」の意味がなくなってしまう。
「政治家を目指しましょう」、と言っても、裏を知っているし、仮になったとしても「多勢に無勢」で、何も出来ずに終わるのが関の山であるから、そんな気は毛頭ないが・・・・。
「性別不詳、年齢54」については、「何も言えない」と言ったところか・・・・。
まあ、遊びだからどうでもよいことだが・・・・。
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「毒入り餃子事件」と「事故米流用事件」と「産地偽装事件」など

2008年09月19日 02時59分21秒 | Weblog
いずれの事件も最近起きた問題であるが、「毒入り餃子事件」のときに言われた「中国食品の安全性」が、今や「他人事」では済まされなくなってきている。
更に最近起きた事件に「メラミン入り粉ミルク」と言う問題があるが、この問題にしたところで、過去には日本でも「ヒ素入り粉ミルク事件」「PCB入り油事件」など、ずさんな管理や、安易な金儲けによって引き起こされた事件は数多く起きているのだが、政府や情報機関などは、中国で起きた事件をことさら仰々しく取り上げる傾向にあるが、これは手品の手法と同じで「注意を他にそらせる」と言う意味があるのだろう。
「中国のことを悪く言って日本の問題をぼかす」と言うようなことが行われているようでは、日本の進歩は期待できないだろう。
以前、一部の農家が「自家用の野菜と出荷用の野菜は別々に作る」と言うことを書いたことがあるのだが、これは野菜に限ったことではないと言うことを書き忘れていた。
「野菜に限ったことではない」と言うことは、「日本で作られた食品でも危険は至る所にある」と考えるべきで、「添加物不使用」と書かれた食品でも、よく見ると「添加物と表示しなくてもよい添加物」が使われていることも多いのだが、一部の業者は「防腐剤」のことを「添加物」と解釈しているところもあると言うから気をつけなくてはいけないだろう。
最近とみに強くなってきている「食品に対する安全思考」に付け込んで金儲けをする輩も増えているから、こちらも気をつけなくてはいけない。
賞味期限や消費期限にしても「明確な基準はなく、各社の自主判断に任されている」と言うことで、保存の仕方によっては期限を過ぎても問題がないものも沢山あるが、それを食べるかどうかは「自己責任」と言うことになるので、「それを判断する能力」と言うものも必要になってくる。
近頃は便利な世の中になったため、「機械任せ」「他人任せ」と言う傾向が強く、「自分で判断する」と言う能力に欠けてきているが、ことが起きてからでは手遅れで、「自分のみは自分で守る」と言う習慣をつける必要があると思うのだが・・・・。
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