以前はめったに聴くことがなかったラジオを、最近は時折聴くようにしている。
その理由は「省エネ」にあるのだが、現実的に考えると、マジで「省エネになっていない」と言うことになってしまうのである。
何故省エネのためにラジオを聴くのに「省エネになっていない」と言うのかは、新しく買った液晶テレビが原因になっているのである。
「液晶テレビは消費電力が少ない」と言われているのだが、これには裏があることに気が付くべきで、その「裏」とは、「消費電力が少ない」と言うのは、正確に言うなら「同じサイズのブラウン管テレビに比べて」と言う注釈が必要で、以前使っていた21型ブラウン管テレビの110W/Hにたいして、今度の32型液晶テレビは154W/Hと、40%も余分に電気を消費するのである。
画面の面積がおよそ2倍になったのに対して、消費電力は1.4倍なのだから「消費電力が少ない」と言う表現は間違ってはいないのだが、一種の「トリック」と言うことも出来るだろう。
ここで更に問題を掘り下げてみると、私が買った32型も、大型電気店では小型の部類に入ってしまい、大型化が進んでいるのだが、当然の結果として「消費電力も大型化(増大)する」と言うことになり、200W、300Wが当たり前のようになってしまい、「省エネ、二酸化炭素の排出削減」に矛盾したことをしているのである。
企業には排出削減を義務付けておきながら、「家庭の分は野放し」では、京都議定書の「6%削減」など「絵に描いた餅」でしかないだろう。
これは私の推測なのだが、一説では「6%削減の目標に対して、7%増加している」と言う話であるが、現実には「産業界は目標を達成しているが、、一般家庭が帳消しにしている」と言ってもよいと思うのだが・・・・。
省エネや二酸化炭素の排出削減の責任を産業界にばかり押し付けて、「一般家庭は対象外」では「片手落ち」と言わざるを得ず、安部、福田と二代続いた突然の辞任を「無責任だ!」と言うのであれば、「それを口にする一般人のほうがはるかに無責任だ!」と言わざるを得ないのでは?・・・・。
話を元に戻すが、「110Wが154Wへて40%増加」した消費電力を元に戻すためには、テレビを見る時間をおよそ30%減らさなくてはいけないのだが、30%減らしてやっと「±0」で、そこから更に6%削減するとなると・・・・。
考えただけでなんとも気の重くなるような話だが、このようなことを考える人がどれくらいいるのであろうか?・・・・。
その理由は「省エネ」にあるのだが、現実的に考えると、マジで「省エネになっていない」と言うことになってしまうのである。
何故省エネのためにラジオを聴くのに「省エネになっていない」と言うのかは、新しく買った液晶テレビが原因になっているのである。
「液晶テレビは消費電力が少ない」と言われているのだが、これには裏があることに気が付くべきで、その「裏」とは、「消費電力が少ない」と言うのは、正確に言うなら「同じサイズのブラウン管テレビに比べて」と言う注釈が必要で、以前使っていた21型ブラウン管テレビの110W/Hにたいして、今度の32型液晶テレビは154W/Hと、40%も余分に電気を消費するのである。
画面の面積がおよそ2倍になったのに対して、消費電力は1.4倍なのだから「消費電力が少ない」と言う表現は間違ってはいないのだが、一種の「トリック」と言うことも出来るだろう。
ここで更に問題を掘り下げてみると、私が買った32型も、大型電気店では小型の部類に入ってしまい、大型化が進んでいるのだが、当然の結果として「消費電力も大型化(増大)する」と言うことになり、200W、300Wが当たり前のようになってしまい、「省エネ、二酸化炭素の排出削減」に矛盾したことをしているのである。
企業には排出削減を義務付けておきながら、「家庭の分は野放し」では、京都議定書の「6%削減」など「絵に描いた餅」でしかないだろう。
これは私の推測なのだが、一説では「6%削減の目標に対して、7%増加している」と言う話であるが、現実には「産業界は目標を達成しているが、、一般家庭が帳消しにしている」と言ってもよいと思うのだが・・・・。
省エネや二酸化炭素の排出削減の責任を産業界にばかり押し付けて、「一般家庭は対象外」では「片手落ち」と言わざるを得ず、安部、福田と二代続いた突然の辞任を「無責任だ!」と言うのであれば、「それを口にする一般人のほうがはるかに無責任だ!」と言わざるを得ないのでは?・・・・。
話を元に戻すが、「110Wが154Wへて40%増加」した消費電力を元に戻すためには、テレビを見る時間をおよそ30%減らさなくてはいけないのだが、30%減らしてやっと「±0」で、そこから更に6%削減するとなると・・・・。
考えただけでなんとも気の重くなるような話だが、このようなことを考える人がどれくらいいるのであろうか?・・・・。