月刊誌に、岡田外務大臣が通産省時代、プログラム権法の担当補佐をしていたとある。 プログラム権法を簡単に言えば、コンピューター・ソフトウェアを保護することだ。結果的に、この法案は陽の目を見ずにポシャッた。著作権で保護するという文化庁との縄張り争いに負けたのだが、そもそも著作権で保護しようとしていたアメリカの外圧が大きい。
外務大臣にはアメリカの圧力に負けず、また政権の補佐に尽力してもらいたいものだ。
このプログラム権法の立法化が動き出した当時、ソフトウェア業界団体でソフトウェア法的保護の調査委員会みたいなものがあった。ある公法人にいた私はオブザーバーで出席していた。
そのためか、プログラム権法の事前調査とする欧米(行き先はワシントン、ロンドン、ボン)のソフトウェア法的保護調査団にお呼びがかかった。参加者は6社のコンピューター・メーカー、それに法律オブザーバーの学者と敵情視察の通産省の担当課長である。つまり、私は番外でいささか尻がもぞもぞする立場だった。
そのわりには、調査報告書のアメリカ担当のひとりにされた。しかも帰国後すぐに調査報告を作成印刷するという。それで、ワシントンの次の訪問先ロンドンではどこにも出かけずにホテルに閉じこもって必死に骨格をまとめたものだ。結局、役に立たなかったけれど。
外務大臣にはアメリカの圧力に負けず、また政権の補佐に尽力してもらいたいものだ。
このプログラム権法の立法化が動き出した当時、ソフトウェア業界団体でソフトウェア法的保護の調査委員会みたいなものがあった。ある公法人にいた私はオブザーバーで出席していた。
そのためか、プログラム権法の事前調査とする欧米(行き先はワシントン、ロンドン、ボン)のソフトウェア法的保護調査団にお呼びがかかった。参加者は6社のコンピューター・メーカー、それに法律オブザーバーの学者と敵情視察の通産省の担当課長である。つまり、私は番外でいささか尻がもぞもぞする立場だった。
そのわりには、調査報告書のアメリカ担当のひとりにされた。しかも帰国後すぐに調査報告を作成印刷するという。それで、ワシントンの次の訪問先ロンドンではどこにも出かけずにホテルに閉じこもって必死に骨格をまとめたものだ。結局、役に立たなかったけれど。