五月晴れ。
その気になって薄着して出かけたせいでしょうか、体調が いまいち面白くありません。
多分 「冷え」を体に取りこんでしまったのでしょう。
若い人たちが軽やかな服装になったからと言って、その気になっての薄着は軽率そのもの。
反省。
でも、〈後悔先に立たず〉の譬え。
電車で喜多方方面へ行き、サクラのトンネルをくぐる予定でしたがパスとなりました。
「5月」には、爽やかさと同時に冷たさや、暗さが潜んでいます。
潜む、と言うよりは、きっと表裏の関係なのでしょう。
戸外が明るいだけに、室内は冬の様に日差しが入り込まない上、
若葉をいっぱいに付け始めた庭の木々が、カーテンのように光を遮ります。
室内にも、けっこう低い気温が潜んでいるのです。
そんなこと、経験上分かっているはずなのに、毎年 失敗を繰り返してしまうのです。
そんなわけで、新聞をゆっくり読んだり雑誌に目を通したり、
ちょっと寄って行った ひ孫を抱っこして見たり、
家事は、かなりサボって ゆっくりしました。
憲法日でしたので、新聞各紙は、「憲法特集」が多く組まれていました。
毎日新聞の、『9条を考える』 中西寛(京都大教授)と、石川健治(東京大教授)両氏の
対談で、石川健治氏が次のように語っていました。
《(改憲にせよ、護憲にせよ)、
情念を支える実体験がない世代同士の争いになったので根が浅くなった。
大阪の「森友学園」で、教育勅語をあれほど軽々しく扱うというのも、
右翼の根が浅くなっているからだという気がします。》
《議論の自由度が増したのは確かですね。
でも、肝心の「憲法への意志」がどこにあるかと考えると暗たんたる状況です。》
対談からの抜粋ですが、この部分、実に良く分かりました。
若い方達と、さほどの交流を持っているわけではありません。
最近は、討論し合ったという事も限りなくゼロに近い状態です。
ただ、戦争を知らない時代に生まれた親から生まれた子(孫)との会話などから
察しますと、私ども戦争を経験した者との隔たりは大きいようです。
「空腹」という言葉一つとっても、私などは〈食べるものが無い〉状態を想起しますし、
孫たちにとっては、単なる身体要求としての〈空腹感〉なのですから。
毎日新聞(5月3日 施行70年 「若者、移ろう戦争観」)に、
社会学者の西田亮介・東京工業大准教授の言葉が紹介されていました。
《若者にとって戦争の体験談よりも、近い将来に何かが起こりそうな不安や、
北朝鮮問題の方がリアリティーを持つ。
社会が変わってほしいという期待感もある、と見る》と。
戦争と言う実体験のない世代の国民が、憲法をどう捉え、関わっていくのか。
そして憲法を守りたいとする戦争体験世代が、どのような言葉で論議して行くのか、
私たち世代が問われているのかもしれません。
〈ゴマメのばーば〉
その気になって薄着して出かけたせいでしょうか、体調が いまいち面白くありません。
多分 「冷え」を体に取りこんでしまったのでしょう。
若い人たちが軽やかな服装になったからと言って、その気になっての薄着は軽率そのもの。
反省。
でも、〈後悔先に立たず〉の譬え。
電車で喜多方方面へ行き、サクラのトンネルをくぐる予定でしたがパスとなりました。
「5月」には、爽やかさと同時に冷たさや、暗さが潜んでいます。
潜む、と言うよりは、きっと表裏の関係なのでしょう。
戸外が明るいだけに、室内は冬の様に日差しが入り込まない上、
若葉をいっぱいに付け始めた庭の木々が、カーテンのように光を遮ります。
室内にも、けっこう低い気温が潜んでいるのです。
そんなこと、経験上分かっているはずなのに、毎年 失敗を繰り返してしまうのです。
そんなわけで、新聞をゆっくり読んだり雑誌に目を通したり、
ちょっと寄って行った ひ孫を抱っこして見たり、
家事は、かなりサボって ゆっくりしました。
憲法日でしたので、新聞各紙は、「憲法特集」が多く組まれていました。
毎日新聞の、『9条を考える』 中西寛(京都大教授)と、石川健治(東京大教授)両氏の
対談で、石川健治氏が次のように語っていました。
《(改憲にせよ、護憲にせよ)、
情念を支える実体験がない世代同士の争いになったので根が浅くなった。
大阪の「森友学園」で、教育勅語をあれほど軽々しく扱うというのも、
右翼の根が浅くなっているからだという気がします。》
《議論の自由度が増したのは確かですね。
でも、肝心の「憲法への意志」がどこにあるかと考えると暗たんたる状況です。》
対談からの抜粋ですが、この部分、実に良く分かりました。
若い方達と、さほどの交流を持っているわけではありません。
最近は、討論し合ったという事も限りなくゼロに近い状態です。
ただ、戦争を知らない時代に生まれた親から生まれた子(孫)との会話などから
察しますと、私ども戦争を経験した者との隔たりは大きいようです。
「空腹」という言葉一つとっても、私などは〈食べるものが無い〉状態を想起しますし、
孫たちにとっては、単なる身体要求としての〈空腹感〉なのですから。
毎日新聞(5月3日 施行70年 「若者、移ろう戦争観」)に、
社会学者の西田亮介・東京工業大准教授の言葉が紹介されていました。
《若者にとって戦争の体験談よりも、近い将来に何かが起こりそうな不安や、
北朝鮮問題の方がリアリティーを持つ。
社会が変わってほしいという期待感もある、と見る》と。
戦争と言う実体験のない世代の国民が、憲法をどう捉え、関わっていくのか。
そして憲法を守りたいとする戦争体験世代が、どのような言葉で論議して行くのか、
私たち世代が問われているのかもしれません。
〈ゴマメのばーば〉