ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

空爆を受けた日でした。

2021-04-13 06:23:09 | 日記
昨日4月12日は、76年前、私が住んでいるこの街がアメリカ軍の空爆に遭い、沢山の方が死傷した日です。
学徒動員で、化学工場で働いていた女学生や男子学生も爆弾の直撃を受けて死亡、いや、殺されました。
直接死ではありませんが、私の姉は、水浸しの防空壕に退避し、病を悪化させて、ひと月後に亡くなりました。
19歳。
あれほど泣いた母を見たことがありません。
兄弟姉妹の中では一番の早死にでした。
「泣く」ではなく「哭く」だったのでしょう。
私と言えば、8歳、国民学校の3年生でした。
どこもここも食料不足で、毎日お腹をすかせていたので、姉の養生のためにと、母がやっとの思いで手に入れた幾つかの卵を食べる姉が羨ましくてならなかったのです。
「お姉ちゃんは いいな」
と、口に出したりもしました。

毎年5月、姉の命日には お墓参りに行きます。
毎年、「お姉ちゃん ごめんね」と言って合掌します。
でも、優しかった姉は 怒ってなどいません。
〈あの頃、みーんな お腹空かしていたからね〉
と、優しく言ってくれている気がするのです。
今日、スーパーで、卵を買ってきました。
戦争が無いこと、食べるものが有ることは、嬉しいことです。
有難いことです。

76年前の夏、私たちは母と一緒に空襲を避けて現在カルチャーパークとなっている辺りに疎開していました。
鯉を飼っている池が幾つかあって、そこの小さな番小屋を借りて母、兄、姉と数か月暮らしていたのです
学校へも行かず、母が調達してくる食べ物で命を繋いでいました。
その辺りに、この3月半ばからJA直売所がオープンしました。
地産の新鮮な野菜が並べられ、あの当時は手に入らず宝物のようなお米も、沢山売られています。
あれこれ、野菜を買い求め、重たい荷物を持った帰り道、なんだか、涙がポロポロこぼれました。
                    〈ゴマメのばーば〉
コメント
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