ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

『生きて』と。

2019-07-19 06:20:52 | 日記
日記を見ますと昨年の今頃は、連日「暑い あつい」の連発。
楽しみに通っていた月一回の『館長講座』(会津若松市・県立博物館)も、当地が
36度などとの予報を聞いて、欠席と記されています。
ギラギラ光るお日様に、「少し雲の上で お休みください」などと呟いたりして
いたものでした。
今年は、一転。
「お日さま 少しは顔を出して下さいませんか」と。

毎朝、スズメに僅かな古米をやっていましたが、今は止めています。
ところが、どうした風の吹き回しでしょう、連れ合いが餌付けを始めたのです。
毎朝、数羽のスズメが、チュンチュン チュンチュン賑やかに訪問しています。
遅くなるとハトがやって来て、あっという間に啄んでしまいますので、早朝に
エサを庭石の上に並べ撒くのは私と同じ対応の仕方。

このハト、いつも一羽でやって来るのです。
以前来ていたハト(巣をつくられて迷惑を被った)は、二羽でしたし、よそで
見かけるハトも、たいていはツガイのことが多い様に見受けられます。
(詳しい生態は分かりません。)
相手を失ってしまったのかしら、などとの想像をしてしまいます。
もし、そうであれば可哀そうな気もしてきて、たまにはエサをあげようかしら、
などと・・・。
スズメにしろ、ハトにしろ、エサを啄む姿は生きものの共通した行為です。
眺めていますと、どこか、連帯というより仲間意識を抱いてしまう私です。

 《自殺者数は全体として減る傾向にあるが、10~30代の死因の第1位は
  依然として自殺となっている。
  国際的にも15~34歳の死因1位が自殺なのは、主要7カ国(G7)の中で
  日本だけだ。》  (毎日新聞2019年7月17日 )
と、報じられています。
私が若い頃も自死はありました。
自死を選ばせた要因は、不治の病を得て世をはかなんだり、それ以外にも
「厭世自殺」などが、しばしば見受けられたものでした。
現在の自死では、
〈10代では学業不振や進路の悩みなど学校問題の割合が最も高かった〉
ということです。
悲しいことです。

 《・・・・・・
  明日のことはだれにもわからない。
  私も、この世も、時の先端にいる。
  ・・・・・・・・・・・・
  もしかしたら、幸とか不幸とか・・・私はそんなもののために生まれてきたんじゃ
  なかったのかもしれない。
  私は、なにも決定されていないものを・・・人間を体験するために生まれて来た
  んだ。
  人間を生きるために、今ここにいるんだ。
  だとしたら・・・・・・。》

上記は、『水辺のブッダ』  (ドリアン助川著 2019.5.20 小学館刊)からの
抜粋です。
川の流れ・光の舞いをみつめながら、20歳の絵里は、自分の腹に手を当てます。
そして、子どもを産む決心をします。
 《この子も私も、これからきっと辛い思いを何度もすることになる。
  でも、この子も人間を生きようとする命なんだ。
  あらゆる体験の果てに、この水辺で流れを見つめる子になるのかもしれない
  ・・・・・・》と。

読み終えて、誰にともなく言った私です。
『生きて』と。
                       〈ゴマメのばーば〉
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする