ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

あれから、70年。

2016-05-05 06:21:55 | 日記
こどもの日。
昔は端午の節句と。
長男の初節句に、義母が買ってくれた武者人形を飾りました。

毎日新聞『水説』(5月4日)に、中村秀明氏の、「連休がつらい子たち」という記事が
載せられていました。
  《楽しいはずの大型連休が、困窮家庭の子にはつらいのだという。
   大阪社会保障推進協議会の事務局長で、シングルマザーを支援する寺内順子さんの話だ。
   旅行や遊びに行けないからではない。
   学校の給食がなくて、おなかがすくんです。
   連休も働かなくてはいけない親も多い。
   今年のように日の並びがいいと、なおさら》
と、記されていました。

「子どもの貧困」という言葉を知らないわけでもなく、生活環境が異なれば、
連休だからといって、海外や国内のレジャー施設に行ける家族ばかりでないことは知っています。
でも、〈学校の給食がなくて、おなかがすく〉と聞きますと、切ない話です。
いつの時代であっても、生活の格差が無くなるということは無いような気がしますが、
せめて、子ども達には、腹一杯食べさせてやりたいと。

同記事に紹介されていましたが、福岡県は、子どもの貧困対策として、
  《コンビニエンスストアから売れ残った弁当やおにぎりなどを分けてもらい、
   支援団体などを通じて学習支援の場で、子どもに提供する。
   売れ残りとはいえ、店頭に置く期限が過ぎただけで消費期限は来ていない。
   コンビニには各団体が引き取りに行く。
   福岡県は、学習支援の場13カ所の助成金計260万円を予算化した。
   ………………………………………………………………………………》
として、福岡県は、日常的に子どもを支援しようとしたそうですが、
この対策は賛否を呼んだとのことです。
困窮家庭の子どもたちへの偏見やいじめを助長したり、子どもたちの誇りを傷つけたりしないかと。

難しい問題です。
人間には、誇りというものがありますから。
でも、“子ども達には、お腹いっぱい食べさせたい”思いは、70年前から持っていました。

太平洋戦争が、終わったばかりの、東京・上野駅。
下のホームに列車が着き、乗客が降りてきますと、いわゆる戦災孤児達が、
衣服ともいえないボロを纏って、“食べ物をくれ”と、乗客に手を差し出したものでした。
汚れた手でした。
幼い弟妹を連れた子もいました。
“早く大きくなって、この子達に衣食を与えたい”
と、子どもながらに思ったものです。
という私も、お腹をすかせていました。

あれから、70年。
貧困も、まだまだ存在しています。
そして、なんとなく世の中が、戦争臭がしてきました。
                                〈ゴマメのばーば〉
コメント (1)
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