blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

千と千尋の神隠し

2002年08月10日 | レビュー
会社の後輩に宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』のDVDを借りたので観た。何故この作品が評価されたのか不思議だ。大雑把なあらすじは、引っ越しのために車を走らせていた千尋一家は、いつの間にか「不思議の町」へ迷い込んでしまう。そこにはおいしい料理があり千尋の両親は無我夢中でその料理を喰い漁る。千尋が気がつくと二人は豚になっていた。10歳の少女千尋はそんなバカ親を取り戻すために、町の中心を占める巨大な湯屋を支配する湯婆婆という強欲な魔女のもとで働くことになる。千尋は名前を奪われ「千」という名で働く。人生経験豊かなボイラー焚きの釜爺・先輩のリン・謎の美少年ハクに励まされて、千尋は懸命に生き生きと働く。いろいろあったが何とか両親を取り戻し、最後には何事もなかったように人間界に戻っていくという話。

よくわからないが 、千尋の両親はなんでこんなにアホなのか? 作品はなにが言いたかったのか? よくわからない。大学時代はラグビー部だったような体格の頭の悪そうな父親、そして何事も醒めている母親。彼らの人生は恐らく、バブルの頃に体育会系のコネで一流会社に入社した父親が、合コンで母親に出会う。冷静な母親は父親の年収に惚れて結婚に同意。間もなく千尋が生まれるが、その頃になるとバブルもはじけ、会社は傾き始める。そしてついに父親はリストラの憂き目を見る。そのため東京にはいられなくなり田舎に引っ越し。で、映画のトップの場面に繋がる、というのがぼくの考察だ。

この映画は宮崎駿監督によると冒険物語と呼ぶべき映画であるという。確かに暴力シーンも武器も登場しないが、10歳の女の子の「自分探し」の冒険物語なのかもしれない。そして湯屋はある意味において「社会の縮図」であるのかもしれない。現代の子供の生命力を嘆く宮崎監督ではあるが、それにしてもこの設定には無理があるのではなかろうか? やはり宮崎作品は単純な冒険活劇が似合っていると思う。
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