一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「理解」ではなく「受容」が大事

2006-03-03 | 乱読日記

※ 女性の方、食事前後の方には不愉快になりかねない内容がちょっと含まれておりますのであらかじめおことわりしておきます。

今、通勤用と寝る前用に2冊の本を並行して読んでいるのですが、実はこの2冊が根っこのところで共通する部分があるので、まとめてとりあげます。

<通勤用>
今までは、「人間には越えてはいけない一線があるんだよ」「よっぽどの事情がないと越えられないものなんだよ」という物語がそれなりに有効に機能してきた。でも、それを繰り返し語っているうちに、その「越えられない一線」があたかも科学的事実であるかのように受け取られてしまった。それは科学的事実ではなく、人間が作為的に構築した道徳に過ぎないんですけどね。

<寝る前用>
人はそれぞれ、体内に自分自身の基準を測るメーターを持っている。
法律も統一基準もあてはまらない、その人だけのレンジとレッドゾーンがあるのだ。
つまり、自分が普通とか当たり前と思っていることが、他の人にとっては全然普通じゃないという事があるということだ。


<通勤用>
一人の人間が人格として成り立っているのは、数え切れないほどのファクターの複合効果なわけでしょう。「実はオレがこんな風になったのはね、六つのときにこんなことがあったからなんだよ」って言う人間の話を聞くと、「嘘つけ」って思うんです。そんなことあるはずないと。お前がそんな風な人間になっているのは、さっき食った海老が不味かったからじゃないかって

<寝る前用>
人は心掛けていても机上の論理に陥りがちである。かくいうボクもそうだ。聞きかじりの話とか、想像とアドリブで構築した話に説得力を持たそうといろいろ小細工する。
街の飲み屋は、そんな机の上の話が駆け巡るところだ。自分の眼で、足で確かめる事もなく、ただ憶測と知ったかぶりで声を荒げる。


通勤用は最近お気に入りの内田樹先生と児童精神科医の名越康文先生との対談「14歳の子を持つ親たちへ」
寝る前用はリリー・フランキー「増量・誰も知らない名言集」 です。


「14歳」は子育て本ではなく、タイトルの字義通り「親自体の問題」を語っています。
そのとおり!と膝を打つことが多く、膝に痣ができるくらいです。

「名言集」はシモネタのオンパレードで、上の引用でも「一線」はそのあとに「中に出してないからヤッてない」という線引きをした男の話、「机上の論理」はそのあとに食糞についてのMのAV男優の話に続きます(このテの話は嫌いではないのですが以下自粛・・・)


「14歳」で言うとおり

【内田】
「何でも話し合える明るい家庭」という標語があるじゃないですか。これは間違っていると僕は思うんですよ。家の中で絶対口にしちゃいけない話題ってあるじゃないですか。僕は政治とセックスと宗教の話は、家庭ではしちゃいけないと思うんですよ。
(中略、そういう当否の検証できない話題であるところの)政治も、宗教も、セックスも、そういう根源的な話題は家の中では「うーむ、なかなか難しいもんだねえ」くらいでさらっとスルーしとくほうがいいんですよ。

家庭ではしてはいけないネタを、リリー・フランキーは家庭外で縦横無尽に繰り広げてくれているわけですね。


ただ、この2冊が根っこのところで通じているのは、思考の定型化・視野狭窄=判断停止することの危うさ、という部分です。
名言集においてはそれが自由で融通無碍であることの面白さ、という形で現れています。

判断停止・自分で考える(悩む)ことを放棄することの危なさについては、「14歳」で以下の指摘がされています。

 【名越】
 子どもさんの場合には、色々話をしてもちろん通じ合った場合には、その話の全体から僕の言いたいことを摑んでくれてるな、という感じがあるんですよ。「だから、これはこうしておこうね」っていう軽い結論だけ言えば、「他に聞きたいことある?」って聞いても、「うん、今日はこれでいい」って言います、子供は。でも、親御さんに同じ話をすると、「結局だから私は、こうしたらいいんですね」って、その話を百分の一ぐらいにまとめてしまう。それはそこしか聞いていないってことでしょう。
 僕ね、今まで何千人かの子どもと話して、「先生、結局こうしたらいいんですね」って聞いてきた子どもって一度も会ったことがない。ところが、「結局こうしたらいいんですね」っていう親御さんには、少なくとも数百人は会ってると思うんですよね。

「14歳」では、言葉だけでない、相手の存在全体を受け止めるコミュニケーションの重要性や身体感覚の重要性を語り、さらにそれを名人同士の対談で顕現しています。

そして「名言集」では、その人なりの「真実」を語る言葉(とても「世間」では容認されないような)をリリー・フランキーという名人がフトコロ深く包んでいます。


「理解しようとする」ことの限界・難しさと「受け容れる」ことの大事さと力量について、笑わせられながらも深く考えさせられる2冊です。





コメント (2)
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