一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「ロングテール」とか著作権とか (『ウェブ進化論』つづき)

2006-03-28 | 乱読日記

3/24のエントリの末尾で引用した

歴史は繰り返す、ただし二度目は茶番。
 カール・マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』

もともとこれは岩井克人の『ヴェニスの商人の資本論』か何か(本棚の奥にあって取り出すのが面倒なので未確認)で孫引き引用されていた言葉です。
未確認で孫引きするのも気が引けたので「歴史は繰り返す 二度目は茶番」でググッてみたところ、73件のヒットがあり、そのTOPのサイトに原典の引用がありました

ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ。
 マルクス(伊藤・北条訳)『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』岩波文庫

でも、やはり孫引きはいかんよなぁ(特にマルクスとかだと詳しい方から指摘を受けそうだし)とか、そもそも『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』は、E.W.サイード『オリエンタリズム』を読んだ時にも「オリエントが自らを表象できないからこそ西洋が西洋のために、また、やむをえず哀れな東洋のために表象する」という文脈の中で 「彼ら〔フランスの分割地農民の事〕は、自分で自分を代表する事ができず、だれかに代表してもらわなければならない」 という部分が引用されていた(平凡社ライブラリー上巻p59)ので、気になっていた本でもあるので、amazonで探してみました(そういえば昔、岩波文庫の薄い本であったよなぁ、と)。

しかし残念ながら岩波文庫は絶版のようで、かわりに筑摩書房「マルクス・コレクション」の第3巻があったのですが、これは<経済学批判要綱「序説」「資本制生産に先行する諸形態」/経済学批判「序言」/資本論第一巻初版第一章>とまとまっていて、3000円もします。値段はさておき単に2箇所の引用だけで面白いかどうかもわからないものを購入するのは腰が引けます。

こういうときに「Google Book Search」やamazonのフルテキスト・サーチ・サービス(日本では「なか見!検索」)ってあると便利だなぁ、と思い、そうか、これが昨日の『ウェブ進化論』の「ロングテール」の商品における本の中身の検索=ウェブ上の立ち読みの許容ということなんだな、と実感した次第です。

どのみち引用の原典にあたりたいだけの僕のような連中は、検索できる範囲で「まあいいや」でブログを書くか、図書館か本屋で立ち読みするか程度なわけです。
これがamazonなどで中身が見られれば、ひょっとすると『オリエンタリズム』での引用箇所なども見て、ちょっと読んでみよう、と買う人が100人に1人でもいれば、もともとベストセラーでなく細々と売っている専門書にとってはメリットだろう、ということなわけです。

ただ、著作権との問題があるので、amazonは出版社との合意を得ながら漸進的に進めているし、逆にGoogleは一気に進めようとして訴訟になっているので、アメリカでもそんなにすぐに実現するわけではなさそうです(グーグルの訴訟については昨年10月に素人の怖いもの知らずでこんなエントリを書いていましたが、こういう背景があったんですね(^^;)。

日本では、著者が揶揄気味に言っている「リアルの世界との接点が得意」なので、現在のインターネットで図書館の蔵書を予約できる延長で、これに宅配サービスを付加する、という方向に行くのかもしれません。ただそうなると、著作権問題がクローズアップされそうですね。

似たようなことはレンタルDVDでTSUTAYA DISCUSという「宅配つき定額借り放題」システムが始まったようですが、これは定額だけど1回に2本、返却後でないと新しいのを予約できない、というしくみなので在庫の稼働率を上げるという意味では「ロングテール」なのかもしれないですが、在庫切れのリスクを顧客に負わせているので、結局「ネットのこっち側」のコスト要因から抜け出ていないともいえます。


著作権をめぐる論争にについては示唆に富む記述があります。

 著作権についての論争がヒートアップしやすいのは、議論の当事者が、著作権に鈍感な人と著作権に極めて敏感な人とに分かれていて、その間に深い溝がるからだ。そしてその溝は、「その人たちが何によって生計を立てているか」「これから何によって生計を立てたいと思っているか」の違いによって生まれている場合が多い。
 加えて「総表現社会の到来」とは、著作権に鈍感な人の大量新規参入(ブログの書き手やグーグルのようなサービス提供者の両方)を意味する。新規参入者の大半は、表現それ自身によって生計を立てる気がない。別に正業を持っていて、表現もする書き手などはそういう範疇に入る。そして総表現社会のサービス提供者とは、「表現そのものの製作によってではなく、表現されたコンテンツの加工・整理・配信を事業化する」人たちで、既存の著作権の枠組みを拡大解釈するか、新しい時代に合わせて改善すべきだと考える。Web2.0はそういう方向性を技術面からさらに後押しするものだ。

このように、『ウェブ進化論』は僕のようなリアルの世界どっぷりな人間にもいろんなところで「腑に落ちる」ところがあるので、ちょくちょく引用させていただくことになりそうです。

長くなったので今日のところはこの辺で。

コメント (2)
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