同僚が、私が書いてるカンボジアのジェンダー関係の文章を読んで、ぜひこれも参照したほうがいいと紹介してくれたのが、Steve Heder氏の書いた、 Laguage and National identity in Asia, Oxford Universiy Press (2007)
このHeder氏は、一度会う機会があったんだけれど、むつかしそうなおじちゃんだという噂をきいて同僚に会ってもらったら、予想通りだったとか・・・・でも彼の意見でECCCで性犯罪が取り扱われなかったとかいう後日談を国連の人たちから聞かされて、ちゃんと会って説明しておけばよかったと後悔したことがあったのだ。
この論文は、カンボジアにおいてクメール語がどのように発展を遂げてきたかを歴史資料にそってまとめたもの。ただ、あまりにも学術的すぎるというのか、お経を読んでるみたいで、もうちょっとビジュアルな資料とかいれてほしかったかな。残念なのは、カンボジア語の発展に関して、ジェンダー視点がまったくない点。たぶん歴史関係を追及している人とかカンボジアのナショナリズムを知りたい人にはかなり優秀な論文かもしれない。どうだろうか。読んでてうれしくないカンボジア人も多いかもしれない、と、戦争時代を生き抜いてきた友達たちの顔を思い浮かべるのである。
いずれにしても、カンボジア人が現在Traditionというのは、1960年代のシアヌーク時代のことを指してる、っていう指摘はなかなか的を得ているかなという気がする。
ジェンダー関係で、伝統的にこうだから・・・っていう議論は頻繁にでてくるんだけれど、じゃあどの伝統なのか、っていうと、ちゃんとした分析論文もないし、議論もないままに、伝統にしがみついているような印象が否めないのだ。部外者だからそう思うのかもしれないかな・・・・・。