玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アドルフォ・ビオイ=カサーレス『脱獄計画』(1)

2015年09月24日 | ゴシック論

 木村榮一はサンリオ文庫の『エバは猫の中――ラテンアメリカ文学アンソロジー』の解説で次のように書いている。
「ブエノスアイレスとモンテビデオを中心とするラプラタ河流域では、19世紀後半からゴシック小説をはじめ欧米の幻想小説や怪奇譚が数多く翻訳紹介されてちょっとしたブームを呼んでいた」
 ブエノスアイレスはアルゼンチンの首都であり、モンテビデオは隣国ウルグアイの首都である。そしてゴシックブームの中で育ち、その後幻想的な作品を発表するようになる作家として木村榮一は、アルゼンチンの作家としてはホルヘ・ルイス・ボルヘスやアドルフォ・ビオイ=カサーレス、マヌエル・ムヒカ=ライネスなどを、ウルグアイの作家としてはフェリスベルト・エルナンデスやフアン・カルロス・オネッティなどを挙げている。
 木村の記述によれば、ゴシック小説のラテンアメリカ文学への影響について考えるときには、これらラプラタ河流域幻想文学作家と呼ばれる作家達の作品を読まなければならないということになる。
 本当は私はそのことよりも、『マルドロールの歌』を書いたフランスの詩人ロートレアモン伯爵こと、イジドール・デュカスが1946年にモンテビデオで生まれていること、そしてデュカスがフランス人の父母によって生を受けたにしても、スペイン語を解しなかったはずはないから、そうしたブームの洗礼を受けていたのかどうかということを知りたいのである。
『マルドロールの歌』にマチューリンの『放浪者メルモス』の影響を受けている部分があることは以前に指摘したが、それがラプラタ河流域におけるゴシックブームと関係があるのかどうかについて関心がある。生まれながらにして異境の地へと越境することを宿命づけられたイジドール・デュカスについては石井洋二郎の『ロートレアモン 越境と創造』という刺激的な著書があるが、その部分には触れていない。
 デュカスは13歳で父母の故国であるフランスに渡ることになるが、22歳で『マルドロールの歌』を書いた超早熟のデュカスが、それ以前に木村の言うゴシック小説ブームの洗礼を受けていた可能性がないわけではない。デュカスがそれに間に合って、ウルグアイでゴシック小説を読んでいたのか、それともフランスへ渡ってからであったのかで、かなり違った意味を持つであろうからだ。
 しかしそのことに深入りすることは今は出来ない。ここではゴシック小説のラテンアメリカ文学への影響という問題の入り口として、アルゼンチンやウルグアイの作家達の作品を読む必要があるという事実に従わなければならない。
 ビオイ=カサーレスはボルヘスの年下の盟友であり、1967年には二人の共同ペンネームである、オノリオ・ブストス=ドメックの名で」共著『ブストス=ドメックのクロニクル』という本を出版している。
 この本は現実には存在しない書物や建築、ファッションについて書かれた評論集であり、衒学的虚構性というべき特徴に彩られた本で、私にはとても好きになれるしろものではなかった。
 以来、ビオイ=カサーレスは私の読書の対象からボルヘスとともにはずれてしまった。しかしボルヘスが"完璧な小説"と呼び、アラン・レネ監督の映画「去年マリエンバードで」の淵源となったという『モレルの発明』という小説だけは気になっていた。
 整理を任されたある蔵書家の本の中に『モレルの発明』があったので、何十年ぶりかでビオイ=カサーレスを読むことになった。

『エバは猫の中――ラテンアメリカ文学アンソロジー』(1987,サンリオ文庫)木村榮一他訳
石井洋二郎『ロートレアモン 越境と創造』(2008,筑摩書房)
ホルヘ・ルイス ボルヘス 、 アドルフォ ビオイ‐カサーレス『ブストス=ドメックのクロニクル』(1977,国書刊行会)斎藤博士訳
アドルフォ ビオイ‐カサーレス『モレルの発明』(1990,書肆風の薔薇)清水徹、牛島信明訳

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