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玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オテロ・シルバ『自由の王』(3)

2017年12月24日 | ラテン・アメリカ文学

 オテロ・シルバの小説『自由の王』と、ヴェルナー・ヘルツォークの映画「アギーレ/神の怒り」との間には、まだまだ多くの違いがある。それは『自由の王』が史実に忠実な歴史小説として書かれ、「アギーレ/神の怒り」がたかだか1時間半程度の映画で、そこに物語を凝縮せざるを得ないということに起因するだけではない。二人の作者の間には根本的な認識の違いがあるように思う。
 ローペ・デ・アギーレは暴君である。むやみやたらと同胞を殺す。その典型がペドロ・デ・ウルスーア殺しである。『自由の王』によればアギーレの目的はエルドラードを発見することなどではなく、「あらゆる地図に描かれているペルーと呼ばれる驚嘆すべき国を征服し、われわれのものにすること」である。
 そのために邪魔になる人物のリストをアギーレは作成し、着実に殺害を実行していく。『自由の王』でアギーレは自分の味方との謀議の上で、ウルスーアを暗殺するのだが、「アギーレ/神の怒り」で彼は、本体への復帰を主張するウルスーアを、発作的に銃で撃つ。
 ウルスーアはそこでは死なずに、裁判によって裁かれて絞首刑にされる。この違いの理由はどこにあるのか。『自由の王』でのアギーレの殺人行為はすべて謀殺である。一方「アギーレ/神の怒り」では、アギーレの発作的な怒りによる殺害の形を取る。
 とにかくウルスーア殺しが転換点となって、アギーレはスペインの国王フェリペ二世に対して公然と反旗を翻すことになる。その後は自分に従わぬ者たち、あるいは将来的に敵に廻ると思われる者たちを次々に殺していくのが、『自由の王』の物語である。
 その中にはスペインからの独立を一方的に宣言して擁立した、新たな国王フェルナンド・デ・グスマン殺害も含まれる。『自由の王』ではグスマンのスペインへの寝返りの徴候を察知して、アギーレによって殺される。ところが「アギーレ/神の怒り」では、グスマンはアギーレによって殺されるのではない。そこもまったく違っている。
 隊は筏でマラニョン川を下っていくが、先住民に対する警戒から接岸して食料を調達することができない。次第に飢えが兵士達を襲っていく。兵士達がトウモロコシの粒を数えて分配するところまで追いつめられているのに、グスマン王はたらふく食い続ける。グスマンはそのことへの怒りを買って兵士たちによって殺されるのだ。
 まだ違いはある。『自由の王』では謀殺に次ぐ謀殺、さらには隊員たちの寝返りによって、アギーレの周りにはほとんど味方がいなっていくのだが、「アギーレ/神の怒り」にあっては、先住民の放つ毒矢によって隊員たちは次々と殺されていくのだ。必ずしもアギーレの神の怒りの行使によって殺されるのではない。
『自由の王』はアギーレによる謀殺を、権力維持のための粛清として描いていて、そこでは度を過ぎた権力意志が結果的には孤立や孤独を生んでしまうという逆説が顕わになる。一方「アギーレ/神の怒り」ではそのあたりが明確ではない。
 アギーレのウルスーアに対する温情も、グスマン殺しをアギーレによるものとしない作りも、アギーレの凶暴さを減殺する。そこにはヘルツォーク監督のアギーレという人物に対する寛容の気持ちがあるのではないか。
 また娘エルビーラの死に方も小説と映画ではまったく違った描かれ方をする。映画ではエルビーラは先住民の放った矢によって殺されるのだが、小説では鎮圧軍に追いつめられたアギーレが、敵の兵士に犯されることのないように、自らエルビーラを殺すのである。もともとアギーレが娘を行軍に同行させていたのは、告解師の毒牙から娘を守るためであった。
 エルビーラの殺され方に関しては、言うまでもなく小説の方に軍配が上がる。アギーレの性的潔癖は、娘が強姦されることに耐えられるはずがないのだから、エルビーラは父アギーレによって殺されるのでなければならない。
「アギーレ/神の怒り」には先住民は登場しても、鎮圧軍は登場しない。映画がアギーレの隊による川下りの場面に限定されていて、そこにあらゆるテーマを凝集させなければならないために、やむを得ない面もある。
 しかし映画のラストで、筏の上にアギーレただ一人が生き残り、猿たちに嘲笑されるという場面は、無謀な川下りで先住民に殺されて独りぼっちになった、というよりはやはり、アギーレの権力意志が最後に彼の孤独に至るという構成によってこそ生きたのではないか。

 

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