玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

沖縄の皇民化政策

2012年06月04日 | 日記
 沖縄県は十五日、本土復帰四十周年を迎え、宜野湾市で記念式典が行われた。それにあわせるように、集英社から「戦争×文学」第二十巻「オキナワ終わらぬ戦争」が刊行された。この巻は最終巻であり、そのせいもあってか、大変力のこもった編集になっている。
 霜多正次という作家の「虜囚の哭」という作品に多くのことを教えられた。まず沖縄県では、昭和十四年頃から標準語励行運動というものが行われ、標準語が半ば強制されたという事実である。日本民芸協会の柳宗悦は沖縄で講演し、琉球文化の貴重な価値を賞揚し、「沖縄人自身がいたずらに大和風をまねるのは、県民を卑屈にするだけで、日本のためにも、沖縄のためにもならない」と厳しく批判したのだった。
 柳は、本土では自由に方言が遣われているのに、なぜ沖縄だけが? と疑問を呈する。言葉が通じないからというのであれば、岩手弁や鹿児島弁も同じことではないか。「沖縄県民を特殊扱いにしている感じを与える」と言っている。確かに沖縄県民は特殊扱いされた。もともと日本への帰属意識が薄く、徴兵に反対する暴動まであった沖縄に対し、政府は強力な皇民化政策をとる必要があった。
 こうした皇民化政策は、沖縄人に劣等意識や被差別意識を植え付けていく。霜多は「そのことは、かれらを逆に奮い立たせ、無理にも忠誠をしめさずにはいられない気持ちにかりたてたのである」と書いている。沖縄戦では兵士にも増して多くの住民が戦死し、集団自決まで行われたが、その背景にはそうした事情が隠されている。
 しかし、全巻を通読して気づいたのは、ほとんどの作品に娼婦が登場していることである。戦後の沖縄は、そのことに象徴されている。

越後タイムス5月25日「週末点描」より)

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