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ホセ・ドノソ『夜のみだらな鳥』(8)

2018年06月04日 | ラテン・アメリカ文学

 ゴシック小説では過去に起きた事件が因果となって、後の物語に取り憑くという構造がよく見られるが、『夜のみだらな鳥』ではそうした構造が偏執狂的なまでに徹底している。最初のアスコイティア家の物語が因果となって、エンカルナシオン修道院の物語とリンコナーダのお屋敷の物語に憑依していくのだ。
 また私はゴシック小説の第二の条件は〝相続恐怖〟であると言った。しかもそれは血塗られ、呪われた血統への相続恐怖なのであって、だからこそ『夜のみだらな鳥』の中では、妊娠に至る性行為の場面と出産の場面とが執拗に繰り返されていく。
 ヘロニモになりきった《ムディート》がイネス夫人と交わる場面こそ執拗な繰り返しの中心にある部分である。この場面は《ムディート》の中で何度も何度も繰り返され、追体験されるが、それはアスコイティア家の最初の物語に取り憑かれた状態のもとで行われる。
 そこではペータ・ポンセと娘イネスの乳母との取り替え可能性、あるいは娘イネスと現在のイネス夫人との取り替え可能性が強調されるばかりでなく、ペータ・ポンセの使い魔である黄色い牝犬と娘イネスの乳母の使い魔である黄色い牝犬との取り替え可能性にさえ言及される。
 つまり最初のアスコイティア家の物語の要素が『夜のみだらな鳥』の至るところに、何度も何度も甦ってくるのである。以下のような《ムディート》の反芻に、そうしたことは顕著に表れてくる。

「死体を見た人間はいないけれども黄色い牝犬が死んだあの晩、リンコナーダのペータの部屋で、おれがはっきりと、おれの下で悦びの声を上げているのはイネスだと信じたその理由、それはペータがもうひとりのイネス・デ・アスコイティアの血を引いており、いわばその子孫であるということだ。もっとも、卑しい何代もの先祖の存在は、混血の呪い師めいた顔の底にあるあらゆる高貴な一族のしるしを埋めてしまったが……あの晩現われておれの下になり怪物を産むものをおれから受けたのは、若い聖女自身、若い魔女自身だったのかもしれない。」

 ここでいくつかのことを補足しなければならない。ペータ・ポンセが娘イネスの血を引いているとすれば、娘イネスは最初の物語の中で、子どもを出産していなければならない。前にも書いたように《ムディート》は、アスコイティア家の先祖がポンチョで隠したのは、娘イネスの出産の場面だったと推測しているのである。娘イネスに子どもがいなければ子孫など存在するはずがない。
 また娘イネスが聖女と呼ばれるのは、大地震が起きたとき彼女が乳母からもらった「木の枝を革の紐でくくった十字架」を掲げて、彼女が幽閉された修道院を倒壊から救ったという伝説によっている。
 またイネス夫人はこのイネスの奇跡を主張して、ローマ教会に列福の神聖を行うのだが、それがうまくいくはずもない。むしろ魔女であった乳母からもらった十字架で奇跡を行ったのであれば、娘イネスもまた魔女の奇跡を行うのでなければならない。
 本題に戻る。《ムディート》が執拗に繰り返す追体験は、小説における時間の構造を変形させる。時間は直線的に流れことをせずに、絶えずアスコイティア家の最初の物語に回帰しながら、いわば螺旋形に流れていく。
 もちろん螺旋形に上昇するのではなく、螺旋形に下降していくのであるが、このようにして『夜のみだらな鳥』は迷宮化された時間を獲得するだろう。この小説にあっては空間の構造だけでなく、時間の構造さえ迷宮としての姿を現すのである。

 

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