玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

地方分権原理主義者

2007年01月19日 | 日記
 泉田知事は自分のことを「地方分権原理主義者だ」と規定した。昨年十二月十九日に高柳じょんのび村で開かれたタウンミーティング終了後の発言だった。
 知事はタウンミーティングの中で、高柳町が合併によって役場という中核的存在をなくしてしまったことについて、繰り返し発言した。合併で役場は支所や事務所に変わったが、「支所は、住民に対して“こういうことはできませんよ、ああいうこともできませんよ”という場所にしかなり得ない」と話し、役場が地域にとって、いかに重要な役割を担っていたかを強調した。
 「市町村合併が本当によかったのかどうか考える必要がある」という発言には、ちょっとびっくりしてしまった。柔和で童顔の容貌からは予想もできない大胆な発言だったからだ。知事はさらに「政令市の役所と村役場が同等の権限を持つ必要はないが、小さな村や町の役場の機能は必要なんだ」とも語った。
 柏崎市が旧高柳町、旧西山町を編入合併してから一年半が経つが、旧両町からは「合併してひとつもいいことはない」という声が聞かれるだけだ。高柳町もかつての元気を失いつつあるという人もいる。地域の心をひとつにまとめる自己決定の仕組み=地域自治が失われてしまったからだ。
 知事は「私の考え方は、鳥取県の片山知事の考え方に近い」とも話し、国に対して、地方分権重視の考えを訴えていくとも語った。「市町村合併を元に戻すことはできないのですか」と聞いた。泉田知事は「制度上は可能だけれど、財政的な裏付けがなければだめですね」と答えてくれた。
 ああ、そうか。財政力指数が〇・一などという状況ではとても無理なんだ。もうひとつ、高柳町は合併特例債という禁断の果実を食ってしまっているから、もう元に戻れないんだということをあらためて悟った。合併ということは、それほどに重い問題を孕んでいたのだった。

越後タイムス1月1日「週末点描」より)


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