玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ピーター・バナード「つた つた つた」(4)

2017年08月21日 | ゴシック論

 ところで、バナードの文章の中心テーマはサブタイトルに言う「折口信夫と日夏耿之介との越境的ゴシシズム」であるので、日夏耿之介について触れなければバナードの文章について論じたことにならない。
 ところが私は、日夏の骨董的文体が好きではない。前にも取り上げたことがあるが、日夏はエドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」を以下のように訳している。冒頭部分を示すが、古色蒼然たる訳文は全編を貫いている。

「その歳の秋の日、鈍(にび)いろに、小闇(ぐら)く、また物の音(ね)もせぬひねもす、雲低く蔽い被さるがことくにみ空にあるを、われは馬上孤り異(こと)やうにすさまじき縣(あがた)の廣道を旅してありつるなり」

 ちなみに「アッシャー家の崩壊」の原題はThe Fall of the House of Usherで、一般的な翻訳のタイトルは直訳に近いが、日夏のつけたタイトルは「アッシャア屋形崩るるの記」というのである。そこにも日夏のこだわりが窺える。
 日夏はゴシックを「過去との特殊な関係による」文体において、日本に移植しようとしたのである。また詩人としての日夏耿之介はそのような文体によって、ゴシック詩を自ら書いた。バナードは日夏の「儂が身の夜半」を紹介している。

「夜の暗闇(くらやみ)のふかみより
己(おの)が苦惱の生體(しやうたい)を刳(ゑぐ)りいだし
やがてその鮮(あた)らしい墳墓(ふんぼ)の上に
血紅色(けつこうしよく)の滿月(まんげつ)の光を沃(そそ)ぐ
――儂(わ)が身の夜半(よは)
都(ああ) 美しい夜景(やけい)である」

 好き嫌いは別にして、この詩は紛れもなくゴシック的である。バナードは「中世らしい玄い風景と、「形式的には」限りなく錯綜した言葉遣い」と言っているが、日常的な文体から限りなく遠ざかり、漢字と時に奇態なその読みとが言葉の迷宮を作り上げている。
 日夏はヨーロッパやアメリカの「ゴシック」から直接に影響を受けていて、バナードの言う「越境的ゴシシズム」をそのようなものとして理解することはできる。しかし、折口信夫の徹底した和文的文体に「ゴシック」からの直接的影響を見ることはとうていできない。
 バナードの結論はだから、かなり苦し紛れなところがある。「題目と発表当時の表紙から古代エジプトを通して日本の太古を普遍的なゴシック・ミスティシズムに繋げる『死者の書』も、このような越境的な役割を果たす」と、バナードは言うが、もうこれは本来の意味の「ゴシック」からは大きく離れてしまっている。
( 折口の『死者の書』というタイトルは、エジプトの『死者の書』のタイトルと同じであり、初版にはエジプトの『死者の書』に描かれた、人間の頭を持った鳥の図が使われていた。その鳥は"ba"といって人間の魂を表しているという)

 やはり日夏と折口を「越境的ゴシシズム」で括ることには無理がある。ゴシックの定義を際限なく拡げていくことによってしか、それは可能とはならない。
 あるいは日夏は狭義の意味でのGothicであり、折口は広義の意味でのgothicであるとでも言うしかない。
(この項おわり)