玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

うれしい贈り物(1)

2017年08月03日 | 玄文社

 拙著『言語と境界』をいろんな方にお送りしているが、お返しにその方の著書をいただくことがある。三条市の詩人・経田佑介さんから、今年7月に出たばかりの詩集『洪水と贈り物』が届いた。
 経田さんは私の著書を半分まで読まれたところで、「ソシュールは相当勉強しましたが、ずっとことばをつかうことの方がおもしろくてやってきました」と書いている。『言語と境界』は後半がベンヤミン論で、その「言語一般および人間の言語について」の解読については、ソシュールの言語論を参照しているので、経田さんはそのことを言っているのである。
 経田さんの言うように言語理論を理詰めで追究していくよりも、「ことばをつかうことの方が」面白いのは至極当然のことだが、多くの詩人たちが「おもしろくてやって」いるわけでは必ずしもない。苦汁の末に絞り出して無理やり書いたような詩が多くある中で、経田さんの作品はそんな苦労を微塵も感じさせないものなのである。
 経田さんは多作な人である。1939年生まれだから私よりひとまわり年上だが、これまでに詩集、訳詩集、短編集など20冊ほどの著書を持っている。私はもともと現代詩のよい読者ではなく、経田さんの詩についてもそれほどよく読んできたわけではない。
 しかし、わが「北方文学」の創始者・吉岡又司が亡くなったときの、追悼の文章には目を見張らざるを得なかった。ひたすら吉岡詩の修辞的部分、とりわけ地口や駄洒落について書かれた文章だったが、それが吉岡詩の本質を見事に突いていたのだ。実践なくして書き得ない文章であった。
『洪水と贈り物』にも私はまいってしまった。この詩集は「羊水の海で」「おお 水よ」「クルミ割り」「踊る死者たち」の四つの章に分かれているが、「羊水の海で」は次のように始まる。

「昨日ははげしい雨にうたれていた。あなたはぐっしょり濡れた下着のぬかるみのまま一本の樹をめざしていた。はげしく幹を叩く音がした。
今朝の戸口の熱いノックをあなたは聞いたのだったか。
冷たい雨粒が顔を叩くのだ。旅人は衣服を小川のほとりで脱ぎすてたのではなかったか、あるいは熱い肉体から衣服はすべり落ちて溶けてしまったのだ。」
 
〈あなた〉とは何か? 〈樹〉とは何か? 〈旅人〉とは誰のことを言っているのか? そんなことを考える余裕すら与えず、〈あなた〉は〈女〉へ、〈樹〉は〈裸の樹〉へ、〈旅人〉は〈わたし〉へと変奏され、さらに〈女〉は〈宙吊りにされた女〉へ、〈樹木〉は〈燃える樹〉へ、〈わたし〉は〈夜の鳥〉へと変奏されていく。
 水の流れのように固定化されないイメージ、洪水のように溢れるイメージ、時に奔放に、時にシュルレアリスティックに、時には確固とした断言として、自在に変奏されるイメージの連鎖。
 散文詩である。誰がいったいこの半世紀の間に、次のような詩句を書き得たか?

「わたしは石を抱いた。
わたしは石を抱いた。爪で石を掻き、傷をつけた。水がわたしの胸を撃った。ワタシヲ洗エ。毛髪ヲ、スベテノ毛ヲ、クボミヲ、スベテノ管ヲ洗エ。石に胸を叩きつけ、腿をこすりつけ、祈った。やがてわたしの肉から赤い涙が流れ出した。溢れ出るもので石を包み、わたしは失われた。
消滅よ。すべて意味あるものの消滅よ。わたしは光を失った。鼻を失った。口を失った。耳を失った。皮膚を失った。一匹の盲目の小魚となって、石の周囲を泳ぐのだった。」

 言葉の意味よりも経田さんが刻んでいく言葉のリズムを味わえばよい。そして「消滅するわたし」を前に、未然の死を生きるものとして、その言葉におののくことができればそれでよい。
 最新詩集だが、発表年は1976年から2016年。最後の「追伸」の2016年を除けば、1981年までの5年間に発表された作品を再構成したのである。
 おそらくかなり手を入れているのだろう。なぜこれだけの作品が詩集としてまとめられることなく、放置されていたのだろう。そしてこの作品を貫いている、はげしい雨と洪水による災厄のイメージが、なぜ今日甦ることになったのだろう。
 三条市を流れる五十嵐川は繰り返される氾濫の歴史に彩られている。私が知っているだけでも2004年の7・13水害、そして2010年にも三条市は水害に見舞われている。
 直接的に水害をテーマにしているのは第2章「おお 水よ」の3編の詩編であるが、私にはむしろ「羊水の海で」の方が、災厄としての洪水のイメージをよく伝えているような気がする。
『洪水と贈り物』は〝多時間的集合体〟だと経田さんは言う。それはこの詩集を構成する四つの章が独立して発表されたものであることからきている。しかし、「羊水の海で」の断片的に発表されてきたとしても、深く関連づけられた12の詩編の連鎖のあり方をこそ、〝多時間的集合体〟と呼びたい気がする。
 それにしてもなぜに、あの大きな水害の前に書かれたこれらの詩編が、三条市の歴史的災厄を予兆できたのだろうか?

詩集『洪水と贈り物』経田佑介(ブルージャケットプレス 〒955-0832三条市直江町1-5-54 tel&fax0256-32-3301)

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