玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

アレホ・カルペンティエール『方法異説』(4)

2017年01月01日 | ラテン・アメリカ文学

 2週間の入院のため、カルペンティエールの『方法異説』についてきちんと書くことが出来ていない。カルペンティエールについては〝魔術的リアリズム〟の問題をはじめ、いろいろと書いておかなければならないことがたくさんあると思うのだが、今はそれが出来ない。とりあえずもう少し書いて、終わりにしたいと思う。
 この小説はアウグスト・ロア=バストスの『至高の我』と、ガルシア=マルケスの『族長の秋』とともに、ラテン・アメリカの三大独裁者小説と言われているが、他にもミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『大統領閣下』とか、マリオ・バルガス=ジョサの『チボの狂宴』とかいろいろあるのに、なぜこの3作が三大独裁者小説と呼ばれるのだろう。
 それはこの3作が1974年から1975年に集中して出版されていることによっているのは明らかであろう。1973年のチリのクーデターの影響が背後にあることも窺われるのである。3作ともモデルになっている独裁者はピノチェト将軍ではないが、ピノチェトによるクーデターとその後の圧政が影を落としていることも明白なのである。
 ロア=バストスの『至高の我』は翻訳されていないが、カルペンティエールの『方法異説』も、ガルシア=マルケスの『族長の秋』も、必ずしも独裁者の非道な行為を中心に描いているわけではない。マルケスの『族長の秋』には、残酷な場面がたくさんあるが、そのことよりも独裁者というものの内面や孤独を描こうとする姿勢の方が強い。
 カルペンティエールの『方法異説』には、直接的に残酷な場面はほとんどなく、第一執政官の文化的ディレッタントとしての姿が執拗に描かれていく。どちらも独裁者の残酷な執政を非難するためだけに書かれた小説ではないのである。彼等はラテン・アメリカ世界における独裁の必然性や、独裁的権力の行き着く果てを描きたかったのだと思う。
 ところで、マルケスもカルペンティエールも、キューバのカストロの独裁的政治に対して寛容であったことが知られている。マルケスは1971年のパディージャ事件(カストロによる言論弾圧事件)で、カストロ政権を批判したジョサと反目し合うことになる。その後もカストロ政権を擁護し続けたマルケスは、チリのピノチェトの独裁に対しては批判するのに、なぜカストロの独裁を許すのかとの批判を受けることになる。
 カルペンティエールもまた、キューバの生まれであり(正確にはスイス生まれ)、キューバ革命を支持してきたこともあって、カストロ政権を擁護し続けた。『春の祭典』にはキューバ革命讃歌とも言うべき部分があり、そこは『春の祭典』の大きな失点となっている。
『方法異説』はどうかと言えば、カルペンティエールの描く独裁者はマルケスのそれに比べて明らかに迫力に欠けるし、孤独や凶器の深さに置いても大きく遅れを取っていると思う。しかし、カルペンティエールの小説を読む喜びという者を決して裏切ることのない作品であることは確かである。
(この項おわり)