玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

カルロス・フエンテス『老いぼれグリンゴ』(1)

2017年01月17日 | ラテン・アメリカ文学

 カルロス・フエンテスの代表作『テラ・ノストラ』を、昨年発行になってすぐに買ってあるのだが、入院生活を送ったこともあって、まったく手をつけられずにいる。なにせ四六判9ポ2段組で、1千90頁もある超大冊なので、勇気を振るってかからないと読み始めることが出来ないのである。
 そのための助走として『老いぼれグリンゴ』を先に読んでみることにした。『テラ・ノストラ』は1975年の作品、一方『老いぼれグリンゴ』は1985年の作品で、短めの長編小説である。
『老いぼれグリンゴ』はアメリカの作家・ジャーナリストであった、アンブローズ・ビアスをモデルにした小説であるが、伝記的事実に従って書かれているわけではない。ネタはビアスが晩年、メキシコ革命に合流するため、アメリカでの作家生活をなげうって、71歳という高齢で国境を越え、メキシコ革命に合流したという事実にしかないからである。ビアスのメキシコでの足取りはその死を含めてほとんど分かっていないのである。
 ところで『老いぼれグリンゴ』は現在、河出書房新社の池澤夏樹個人編集による「世界文学全集」に、イギリスの作家、ブルース・チャトウィンの『パタゴニア』と一緒に収められている。〝パタゴニア〟というのは南アメリカ大陸の最南端、現在のアルゼンチンとチリの南部を指していて、チャトウィンのこの作品は紀行文学の傑作として名高い。
 私が『老いぼれグリンゴ』のついでに『パタゴニア』も読んでみようと思ったのは、アルゼンチンとチリの文学を理解する上で、何か得るところがあるのではないかという、ひそかな目論みのためであったが、そのもくろみは見事に外れた。
 アルゼンチンもチリも先住民がもともと少なかったため、現在でも白人の人口比率が高い。特にアルゼンチンのラプラタ川流域幻想文学と言われる文学は都会的で、純粋な白人社会からしか生み出されなかったものだと思われる。
 だから『パタゴニア』にスペインの侵攻から白人社会の形成までの歴史を見ることが出来るかも知れないと思ったのだが、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスも、チリのサンティアゴも、パタゴニア地域になど含まれていないのである。
 パタゴニアは南アメリカ大陸の南緯40度以南の辺境の地域であり、たとえば映画「明日に向かって撃て」で知られる、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドのような北米のアウトロー達が逃亡の果てに辿り着いた地でもあった。チャトウィンの興味は主にそういうところにしかないので、、私の目論みは的を外れていたというわけである。
『パタゴニア』は南下の旅の途次に、かつてイギリスやアメリカから流れ着いてきて、そこに足跡を残した人々の記録を主体としているのであって、具体的なエピソードに不足はないが、そこに普遍的なものを読み取ることは出来ない。
 一方、フエンテスの『老いぼれグリンゴ』は、アンブローズ・ビアスの生涯のほとんど知られていない部分をテーマとしているだけに、具体的なエピソードの欠落を感じないわけにはいかない。小説に具体性がなくて理念的にすぎるのである。
 なぜビアスがアメリカの生活を捨てて、メキシコ革命に身を投じたのか、そこでどんな戦いを戦い、どんな死を死んだのか、そこが伝わってこない。ビアスは「メキシコに死にに来た」のだという言葉が何回も繰り返されるが、あまりに理念的で説得力がない。
 ちなみに〝グリンゴ〟というのは中南米の人達が、アメリカ人に対してある程度の親しみと軽蔑を込めて呼ぶ呼称である。女性の場合は〝グリンガ〟。

カルロス・フエンテス『老いぼれグリンゴ』(2009、河出書房新社「世界文学全集」Ⅱ-08)安藤哲行訳