玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

山尾悠子『夢の遠近法』(2)

2015年03月09日 | ゴシック論
 山尾の「思え」という命令文は漱石の場合のように、物語の時代の限定を求めているだけではない。それは物語の内部にまで入り込んでいて、物語の内容そのものを読者に想定することを求めているのである。作者の意図そのままに……。
「思う」のが嫌であれば、作者の意図のままに「思う」のが嫌ならば、我々読者は山尾の「傳説」という作品から即座に撤退する他はないのである。たとえば次のような情景描写に続く命令文をみよ。
「三百六十度の、不安な灰色の大俯瞰図――その何処にも動くものがない。天球は一枚のぶ厚い痰に似た膜、永遠の黄昏どきである物憂い日蝕のようだ。そして偏執的な細密画を見るような地平の涯てまでを刻みつくした石の大厦高楼群。この世界を領するものは、見捨てられたそれら建築群の豪奢と壮麗、ものわびしい廃墟美。大殺戮の果てたあとの、不吉な静寂。そして沈滞した憂悶の気分、それだけであると思え」
 あらゆる物語には「これこれこうだと思え」という作者による命令が隠されている。それがフィクションであるから。しかし、山尾悠子は「これこれこうだ」と書かずに、「そう思え」と書く。山尾は読者への本来は隠されているべき命令ないし要請を露出させてしまっているのである。
 最初からフィクションがフィクションであることが前提とされながら、作者は読者に対し、それが真実の物語であることをとりあえず信じること、あるいは信じるふりをすることを要請しているのである。
 しかしそれだけではない。山尾悠子はこの廃墟の描写で、十七世紀のナポリで活躍した画家モンス・デジデリオの絵を参照しているのは明らかである。参照どころか、デジデリオの絵を言葉で語り尽くそうとしているのに違いない。山尾は読者をデジデリオの作品の内部に導き入れようとしているのである。
 それがデジデリオのどの作品なのか。山尾の描写に一番近いのは「十字架降下のあるイェルサレムの空想的風景画」であるが、廃墟ばかりを描いたこの画家の作品ならどれでもいい。『夢の遠近法』のカバーに使われている「バベルの塔」という作品でもいいだろう。
『モンス・デジデリオ画集』復刻版(エディシオン・トレヴィル・2009)谷川渥監修

「十字架降下のあるイェルサレムの空想的風景画」

「北方文学」第71号発行

2015年03月09日 | 玄文社
 
 玄文社では3月8日に同人雑誌「北方文学」第71号を発行しました。A5判で280頁あります。
 表紙絵は昨年9月に国立新潟病院内に美術館が出来た、佐藤伸夫さんの「深海・呼吸2014」です。昨年の柏崎市美術展覧会で奨励賞を受賞した作品で、ずっと追い続けてきた「深海」のテーマを見事に展開しています。
 同人の詩人・田代芙美子さんが昨年亡くなったので、追悼特集を組んでいます。日本現代詩人会会長の財部鳥子さんが追悼文を寄せてくださいました。
 また「北方文学」にゆかりのある英文学者で、ラテンアメリカ文学の翻訳者としても有名な土岐恒二さんも昨年亡くなったので、追悼特集としました。
 また昨年同人の大井邦雄さんが日本翻訳文化賞翻訳特別賞を受賞したので、その小特集もあります。
 新しい書き手が参加しています。十日町市の五十川峰夫さんです。まだ40代で、同人の平均年齢を押し下げてくれそうです。シェイクスピアの『ハムレット』の構造分析です。
 村上市の石黒志保さんも今号から同人に加わりました。今号に作品はありませんが、まだ30代なので同人の平均年齢がぐっと下がりました。
 大橋土百さんの「ブーゲンヴィルの黒い花」は、山本五十六戦死に関わる新資料発見に基づいています。戦後70年の節目の年にふさわしい作品です。板坂剛さんの「秋の彼方に」も戦争責任を追及した問題作です。板坂さんなりの「英霊の声」といったところ。
 私の「純粋言語とは何か?――ベンヤミン「翻訳者の使命」を読む――」は胃潰瘍の産物です。読んで胃潰瘍にならないように気をつけてください。

 目次を掲げさせて頂きます。

月に血の色が差し、そして◆館 路子
追悼・田代芙美子さん
財部鳥子◆田代芙美子さんを偲んで
 鈴木良一◆祝福と追悼と――田代芙美子さんの詩集に触れながら――
 田代芙美子◆作品4編
追悼・土岐恒二さん
土岐知子◆絶望と永遠と
 大井邦雄◆土岐君からの最後の年賀状
 霜田文子◆土岐恒二氏の仕事から――『ボマルツォ公の回想』を読む――
純粋言語とはなにか?――ベンヤミン「翻訳者の使命」を読む――◆柴野毅実
「仮面」と「告白」◆鎌田陵人
一遍と一茶へのメモ◆榎本宗俊
『ハムレット』舞台の彼方と幕の向こう側
――シンメトリー構成からTo be or not to be, that is the questionを解く(1)――◆五十川峰夫
特集・大井邦雄日本翻訳文化賞翻訳特別賞受賞
 大井邦雄◆翻訳特別賞を受賞して
 若林光雄◆精緻な注釈加え原著を充実
 冬木ひろみ◆書評『シェイクスピアはどのようにしてシェイクスピアになったか』
ブーゲンヴイルの黒い花◆大橋土百
父の出征◆福原国郎
新潟県戦後50年詩史――隣人としての詩人たち〈5〉――◆鈴木良一
高村光太郎・智恵子への旅――智恵子の実像を求めて〈8〉――◆松井郁子
秋の彼方に◆板坂 剛
長い留守◆新村苑子

一部送料込みで1,500円です。ご注文は玄文社までメールでお申し付けください。
genbun@pop07.odn.ne.jp