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玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

キーン氏を待ちながら

2010年10月01日 | 日記
 十一日に開かれたドナルド・キーン氏の講演会の後、永井荷風を研究している東京の坂巻裕三さんと懇談することができた。永井荷風の文章を高く評価したドナルド・キーン氏の講演会を聴くために、わざわざ来柏されたのだった。
 あの長大な『断腸亭日乗』を読破したという、坂巻さんの荷風についての知識と理解は、膨大かつ深遠なもので、久々に一夜文学談義に花を咲かせた。
 坂巻さんは、カバンから一冊の本を取り出す。ドナルド・キーン著『百代の過客』のハードカバー本である。日本の日記文学を論じたその本の目次を見ただけで眩暈がする。『土佐日記』や『和泉式部日記』『蜻蛉日記』なら知っているし、読んだものもあるが、『高倉院厳島御幸記』だとか、『内務内侍日記』とかいうものを知っている人がどれだけいるだろう。キーン氏の読書量にびっくりするばかりである。
 講演会の綾子舞の部でキーン氏は我々のすぐ近くにおられたのだが、サインを求めるような雰囲気ではなかったので、翌日の綾子舞現地公開でのチャンスに〓けた。坂巻さんは、昨年コロンビア大学主催のドナルド・キーン翻訳賞を受賞したジェフリー・アングルスというアメリカ人と、荷風研究を通じての友人だということで、サインをいただく資格は十分あった。
 午前中から現地公開の会場で会場設営の作業をしていた私は、坂巻さんとキーン氏の到着を待っていた。そのうち鳥越文藏氏が急用で帰られたという一報が入り、次いでキーン氏も来られなくなったという知らせが届いた。残念だった。
 しかし、坂巻さんによると、キーン賞を受賞したアングルスさんでさえ、授賞式でキーンさんと話をすることができなかったということで、なかなか“雲の上の人”であるらしい。

越後タイムス9月17日「週末点描」より)

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高柳ばっかり

2010年10月01日 | 日記
 第十三回日本自費出版文化賞の最終選考結果が入ってきた。柏崎関連では少なくとも三点の応募があったはずで、一点は一次選考で落とされ、もう一点は二次選考で落とされた。残る一点はどうなったかと気にしていたのだが、見事特別賞を受賞することになった。
 高柳町門出の小林康生さんの『じょんのびよもやま話』がそれである。昨年十二月の第六回新潟出版文化賞で故志田憲弘さんの『松籟』とともに、優秀賞に輝いた作品である。高柳町関連でいえば、平成十八年の第九回文化賞で地域文化部門の部門賞を獲得した、石黒の昔の暮らし編集会による『ブナ林の里歳時記』に次ぐ受賞である。
 このところ理事でありながらなまけていて、一次選考以外の協力はしていないが、新潟出版文化賞受賞時に、小林さんに「全国版にも応募してみたら」と薦めた人間として、大変嬉しく思っている。文化賞の歴史の中で、もう一点、平成十六年の文芸A部門で入選した、大橋土百さんの『山村日記』がある。
 三点とも高柳町関連の本であることが特徴的だ。高柳町は全国的にも過疎化の進行の最も激しい地域で、そうした特殊性が審査員の心を捉えるせいもあるだろう。そんな逆境の中で作品を紡いでいく姿が評価されたとも言えるだろう。
 ところで大賞受賞作は長崎県対馬市の永留久恵さんによる『対馬国志』全三巻。四十年がかりで古代から現代までの対馬の歴史をまとめた大作。文化賞初期にはこうした自費出版らしい労作がたくさんあったが、最近はめっきり少なくなっている。自費出版文化賞らしい選考結果だった。

越後タイムス9月10日「週末点描」より)

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私と同じ名字の男について

2010年10月01日 | 日記
 先回の参議院議員選挙に、比例区で立候補し、柏崎に事務所を構えて闘い落選した、タイムス編集発行人と同じ名字の元衆院議員のことが、八月二十六日の朝日新聞に報じられている。
 自らが代表を務める会社で、架空の増資をしていた疑いが強まったとして、東京地検特捜部の家宅捜索を受けたというのである。ところが、なぜか事件に関係のない余計なことまで書いてある。
「衆院議員時代には、北朝鮮に行ったことがないのに、著書に金日成主席と会見したと書いた」とか「実際には行ったことがないカンボジアのポル・ポト派支配地域の“潜入ルポ”を月刊誌に執筆したなどとして問題になった」と書いてある。
 この元衆院議員は、私がすでに廃業した業界の団体にも関係していて、団体の全国総会の席で、同じ名字の私のことを“ごく近縁の親戚である”といって、団体幹部に紹介させ、投票への支持を求めていたという。このことは柏崎からの参加者に確認済みだ。しかし、私には元衆院議員の親戚などはいない。彼は荒浜の生まれだし、私の父は下田尻の出身である。同じ名字だから、元を探ればつながりはあるのかも知れないが、“ごく近縁の親戚”などでは全くない。
 落選したことだし、何も言わないでおこうと思ったが、朝日新聞の記事を読んで考えを改めた。もし朝日新聞の報じているような虚言癖があるのであれば、私はそのような人と“親戚である”と思われ続けていたくないからだ。
 ここに真実を明らかにする所以である。

越後タイムス9月3日「週末点描」より)

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亡びに向かって

2010年10月01日 | 日記
 暑い。いったいいつまで、この暑さは続くんだろう……というのが挨拶代わりになって久しい。人間だけが暑くて参っているのではない。植物もまた参っている。山では杉の葉や栗の葉が焼けて茶色になっている。
 こんな時は“うまいもんでも食うしかない”と、おかかえのシェフに頼んで「イタリア料理の夕べ」を開いてもらった。イタリア料理といえば、ピザやパスタが定番だが、普通のイタリアンレストランにはないメニューが並んだ。
“トリッパのトマト煮”。トリッパとは牛の胃のことで、主に第二胃のことをそう呼ぶ。表面に蜂の巣状の模様があることから、通称“ハチノス”。内臓料理だから材料費は高くない。一見グロテスクだが、食感も味も申し分ない。ビールがすすむ。
 調理の方は臭みをとるのが大変らしいが、食べる方は関係ない。「うまい、うまい」と食べているうちに、参加者の一人が「うまいもん食べて、うまい酒飲んで、日本もイタリアのように衰退した方がいい」などと恐ろしいことを口にする。
 暑さで頭がおかしくなったのだろうか。いやそうではあるまい。経済成長がどうだ、GDPがどうだと、あくせくしていては、人間は幸せになれないとの思いだろう。というわけで、九人の参加者は“衰亡”に向かって食欲全開、めったに口にできない料理を楽しんだのだった。

越後タイムス8月27日「週末点描」より)

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