玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

3層の美しさ

2009年12月03日 | 日記
 学生時代、帰省のために、特急トキ号(まだ新幹線のない時代)に乗り、電車の揺れに身を任せていた時、突然車内放送が流れ「皆さん、初雪が降り出しました。窓の外をごらんください」と興奮気味に言うのだった。
 なぜ車掌が興奮したのかというと、たしかトンネルを越え、越後湯沢を過ぎた頃だったと思うが、紅葉真っ盛りの山々に、白砂糖のような初雪が降ってきたからだった。あまりに、絵に描いたような美しさだったので、車掌も興奮したのだったらしい。電車はその間、サービスでわざとスピードを落としてくれたので、じっくりと“紅葉に初雪”の美しさを堪能した。新幹線の時代ではあり得ないことで、今でもその時のことを忘れない。
 のっぴきならない用事で、連休に前橋まで車で行かなければならないことになった。秋の長雨が続いたあとの快晴の朝だった。高速道路で塩沢に近づくと、山の麓から水蒸気が上がっている。幽玄の美しさである。田んぼが見えてくる。すると、田んぼの一枚一枚から、湯気が立っているのが見えるのだった。初めて見る光景だった。大地が“息をしている”ようだった。
 車は塩沢を過ぎ、越後湯沢に近づいていく。手前に低い山、その奥にやや高い山、そのまた奥に谷川連峰が三層をなして視界に入る。手前の低い山では、まだ赤や黄色の紅葉が残っている。特にカラマツの金色の黄葉が美しい。しかし、その奥の山では、すっかり葉を落としたブナの木の枝々を樹氷のような白い雪が覆っていて、言葉にならないほど美しい。
 そして、その視界の向こうには、雪を戴いた峻厳たる谷川連峰が拡がっている。三つの違った美しさを一望にすることができて、大満足だった。一般道を走れば、もっとゆっくり楽しめるのにと思ったが、急用がある。トンネルを抜けると、そこには“現実”が待っていた。

越後タイムス11月27日「週末点描」より)



『野生の思考』のこと

2009年12月03日 | 日記
 今年、クロード・レヴィ=ストロースの著作を二冊読むことができた。一冊は『人権と歴史』、もう一冊は古典的名著『悲しき熱帯』である。レヴィ=ストロースの著作に最初に触れたのは一九六二年の『野生の思考』であり、当時一九〇八年生まれの彼は五十四歳であった。
 だから、もうとっくに亡くなっていると思い込んでいたのだが、『悲しき熱帯』の二〇〇八年版に、死亡年が記されていなかったので、未だに健在であることを知った。しかし先月三十日、レヴィ=ストロースは百五歳という高齢で亡くなってしまった。
 新聞でも大きく報道され、各紙は彼の残した言葉「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」というペシミスティックな言葉を引用している。この言葉は『悲しき熱帯』に記されているものだが、この本は人類学者としてのフィールドワークから生まれた、彼の思想の根幹を成す著作と言っていい。
 レヴィ=ストロースほど、いわゆる“未開”の人々に対して共感を表明した思想家はいない。“構造主義”といわれる思想の原点もそこにあって、二十世紀最大の知性と言われる彼の出発点は“未開人”へのフィールドワークにあったのだった。
 『人権と歴史』には人種差別や民族主義に対して、次のような根本的な批判が記されている。「人類から《野蛮人》を除外する思考態度は、まさに当の野蛮人自身のもっとも顕著な特有な態度なのである」。
 『野生の思考』は論理的著作であり、ジャン=ポール・サルトル批判を通じて、西欧知識人の思い上がりを批判したもので、目から鱗が落ちる思いで読んだ記憶がある。思想的に最も影響を受けた本のひとつである。レヴィ=ストロースの死を予感したかのように、今年二著作を読んだことを嬉しく思うし、これからも彼の著作を読み続けていきたいと思っている。

越後タイムス11月20日「週末点描」より)