いつか見た故郷の風景を感じます;NHKテレビから。
昨日(1月29日)夜10時からのNHK教育テレビの90分番組<日本人は何を考えてきたか④>に、大逆事件が扱われていることは、新聞のラテ番組面で知っていました。ソファに横になって、ぼんやり見ていました。
突然、バッチリ眼が開きました。わが郷里・岡山県井原の人で、処刑された12人のひとり森近運平の名前がでてきたのです。
このブログで<わが故郷・岡山の山間部に、大逆事件で処刑された森近運平>といった、他愛ない話を書いたことがあります。↓です。
http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20090923
そこには、<ワタシは、子どもの頃から大逆事件で処刑された森近運平の名を知っていたから、新聞や雑誌に大逆事件の連載や特集があると、全体を読まずに、森近運平の部分だけを探していた。森近運平の部分は、どれも非常に少ない>と書いて、つまりそれだけ<事件の本質、処刑の大義から離れていたのでしょう>と書いていたのです。
だから大逆事件のNHKの番組も、<中心人物さん>が中心で森近運平は登場しないだろうと思っていました。だからはじめウツラウツラしていました。
*森近運平;NHKテレビから。
ところがです。ばんばん森近運平が出てきます。幸徳秋水の他は、連座処刑された人たちは、この番組には全く出てこないのです。
森近運平が、獄中から妻にあてた<農作業への気配り>があふれた手紙が紹介されます。処刑の決まった後の無念の手紙が紹介されます。森近運平を取り調べた<岡山?>の検事?の、回想文が紹介されます。
番組は、事件とはほど遠く、全くの冤罪であったことを示していきます。
森近運平30歳は、1911年1月24,25日に処刑されます。
*森近運平の家族;NHKテレビから。
番組は、事件のさなか獄中にいたことで難を免れたといってもいい堺利彦が、遺族を訪ねる旅をしていたことを紹介していきます。堺利彦が、最初に訪ねたのが、森近運平の所でした。岡山県後月郡高屋村(現、井原市)です。妻(繁子)は実家に戻され、娘(菊代)は祖父母にひきとられていたとのことです。
*<あそこのあの山の突きでた所のふもとに朋友の遺子が祖父母に育てられている>堺利彦;NHKテレビから。
番組のコメンテーターのひとり、フランスのボルドー大学で大逆事件を研究してきたクリスチーヌ・レヴィさんが、今の森近運平の故郷を訪ねる旅に出ます。
ワタシがいつも遊んでいた所が、テレビ画面に登場したわけではありません。が、山川がテレビに画面がうつった瞬間、わが故郷・岡山、育った井原と感じたのです。
*岡山県道103号線の標識に、井原市高屋町の文字;NHKテレビから。
録画の準備をしていなかったことが悔やまれます。
再放送を待ちます。丁寧に見ておきたいのです。
誰か、録画していませんか?貸して下さい。
【おまけ】
*日本にある暗い時代の話です。番組が言わんとした本質、<非戦と平等>を求めることについて、コメントできません。政府が根絶しようとした社会主義は、個人主義でなく、社会の主義、公共主義だったと番組がいったように感じました。ここ10年ほど、政府や行政が言っていることと同じことなのですが、その時代は処刑です。
*昨夜、番組が終わったのは11時30分です。0時までの間のわずか30分間に、インターネット検索を通して、このブログに入ってきた人が、40名もいるのです。
【おまけー2】
*森近運平について、岡山の山陽新聞のWEB↓を読まれることをすすめます。
http://www.sanyo.oni.co.jp/kikaku/senjin/news/2009/11/17/20091117114439.html
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