蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

今年のお正月も終わった!-山家の正月行事(その三、組の新年会)-

2007-01-24 00:51:14 | 田舎暮らし賛歌
■ 20日(土)組の新年会。

 9時半。集落の中心の交差点に集合。迎えに来たマイクロバスで富士見高原の温泉に向かう。昨年組内の戸数が20余軒になり、何かとまとまるのが大変ということから、南北二組にわかれることとなった。

  そして別れてから始めての今年の新年会を、別々でやるか、喧嘩別れしたわけではないので、今までどおり一緒にやるかで多少の議論があったが、結局、今年は一緒にやることとなった。

  会場の温泉に着く。標高1000mを超えるこのあたりは、まだ雪がけっこう残っている。
  露天風呂で話がでる。随分雪が少なくなった。以前に来た時は、火照った身体を積もっている周囲の雪の中に投げ出して、じぶんの体どおりの抜け殻ができるのを見て、皆で楽しんだそうだ。ところが、この頃はそんな雪は積もらなくなったと、半ば嘆き節である。
  そして話は最近の異常気象からこの先の農業への不安へと話は広がった。

  正午少し過ぎから始まった宴会は、やがて誰かがカラオケを歌い、それを聴きつつあれこれの話にはなを咲かせた。15時送りの車に乗り込む。

  途中で、早くも、来年のご例会をどうするかという話になった。今年は初めてということもあって、別々となったが、こうして新年会で集まってみると、またもとのように一緒の方がいいではないかという話しになった。

  ところが、そこに話がまとまったと思ったところで、最後尾の座席の人から異議申し立てが出た。その少数意見を巡って又ひともめした。

  田舎の集まりが、これほど少数意見を大事にするとは知らなかった。よほどどこかの立派な先生方のお集まりである国会での、問答無用の審議打ち切り強行採決より民主的ではないかと、新入りの山家の隠居は感じいった。

  今朝ほどの集合場所にバスが着いて、解散となったが、陽はまだ明るい。飲み足りない、話たりないご近所同士で二次会となった。

  会場は、我が家の直ぐ上のお宅と決まった。そのお宅には、庭先にご主人が手作りの囲炉裏のある小屋があるというのだ。急遽、そこでやらせていただくこととなった。
  めいめい一旦自宅に帰り、飲み物、つまみ持参となった。

  30分ほどして伺うと、一目みてこれは素晴らしいと感嘆の声を上げた。

  庭先の小高くなったところに4畳半ほどの掘っ立て小屋があった。雑木の丸太での柱組み。薄いが周囲は腰板が張ってある。上部には、防水シートが蔀(シトミ)代わりに吊るしてある。ご主人が、障子を入れようか、サッシにしようかと迷っているうちに、作業が嫌になってしまった結果とか。このシートを巻き上げると、眼前に鳳凰三山、甲斐駒の南アルプスの山嶺が一望だ。

  小屋の真ん中の手作りの囲炉裏にほだ木が赤々と燃える。その炉を囲んで6人の男が座った。
  一人が持参の鹿肉を切り分けて網に載せる。ご主人の昨秋の貴重な釣果の岩魚の燻製があぶられる。それらの芳しい香りと、薪からの木精の香りが入り混じり、得もいえないいい気分になる。何だか子供時代の隠れ家遊びを思い出していた。

  しかし、そんな中での話は、硬軟さまざまであった。朦朧としながらも、聞くべき話は耳に入れた。
  中でも耳に残ったのは、今は後を継がれて、専業農家の主人だが、若い頃は土木技術者として、フセインが政権を取って間もないイラクへ二年ほど派遣され時の話であった。

 現地に着いてすぐ、いきなり市内で目にされたという公開処刑の話しは凄かった。5人の男と1人の女が首を吊るされたまま、24時間晒されているのだという。さすがにそれを見た日には、食べ物が喉を通らなかったとか。
(※そのフセインが、過日、絞首刑となり、その死に様を世界中に配信されるとは、まさに因果は巡るではないか…)
 そして、別の日には、洗面所で顔洗ってそこを出てからほんのしばらくして、親戚から餞別に貰った時計を置き忘れたことに気付いて、戻るもどこにもない。
 あくる日、事務所で雇っている現地人の運転手の腕首を、ふと見みたらちゃっかり、置き忘れた時計を嵌めている。
 「それは俺のだから返せ!」叫ぶと、「ここでは、黙って置いてあるものは、全てこれアッラーの神のお恵みということになっている」とのことで、いくら事情を話しても返してよこさない。
 しかたがないのでせめてもと、解雇して憂さをはらしたとか、等々。

 明日は、知事選だというのに、誰に入れて欲しいとかの話は、誰からも、これっぽっちも出なかった。

 夜、8時。炉の火が弱まった。腰の辺りに、寒気が急に冷たい刃物のように突き刺さる。
 皆で早々に後片付けをして、お開きとなった。満ち足りた気分で、勢いよく自宅の玄関を開けた。

 これが、私の田舎暮らしの新年であった。現役の頃、宴会が大嫌いだった私の豹変振りには、自分でも驚くほどである。
 日常、他人(ヒト)に会うことが少ないと、こんなにも人懐かしく恋しくなるものであろうか?
 恐らく、この辺の人は、みな同じ気持ちなのではなかろうか。
 昔は雁字搦めで鬱陶しくも感じられた近所付き合い、今は、みんなそれぞれに、その弊害を知り、細やかな気配りをして、なるべく軽くほどよいお付き合いをと心がけているかに思える。

 この先、どんなトラブルがあるかは分からないが、今のところ、実に楽しいご近所付き合いである。






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