蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

今年のお正月も終わった!-山家の正月行事(その二、山神様のお祭)-

2007-01-23 00:32:50 | 田舎暮らし賛歌
■ 14日(日) 山神様のお祭りである。

 この日も快晴。暖かい。お山の神様再開発起人さんからのお誘いの回章にはこうあった。

 『…5、6年前まで、毎年1月17日に御山の神様のお祭りをしていました。山は、皆様ご承知のように人間がいきるために一番大事な水と空気を作り出し、春には山菜、秋にはキノコ、冬には暖房用の薪、木炭(昔で言えばもしきとり)、そんなお山の恵に感謝し1年の無事をお祈りしたいと思います。
 ご賛同していただき、参加をお待ちしています。

 お山の神様:寛永8年(1631年)~天保12年(1841年)各山の中に祭られた。この付近一帯を神行寺と昔は呼ばれていた。…』と。

 即ち、この辺でも近年、皆が忙しくなったのを機になるべく不要な集まりは止そうということになり、一旦はやめてみたものの、やはりそれでは何となく落ち着かなく、寂しい気分もありしてか、昨年からまた有志により復活させようということになったらしい。

 私のアトリエの薪ストーブの薪は、ほとんど周囲の雑木林から頂戴している。その恩恵に浴している以上、参加しないわけにはいかない。そして去年初めて参加した時の楽しい気分がわすれられない。

 定められた時間に、お山の神様に通ずる林の入り口まで軽トラで行った。そこからの小道はまだ雪が残っていた。間もなく木の間隠れに話し声が聞こえてきた。

 数人の人の輪の中心で焚き火が赤々と燃えていた。10人余りのご近所が集まったところで、発起人さんの司会で、注連縄の張られた岩代に向かい二礼二拍手した。

 それから持ち寄りの漬物や何やかやでお神酒をいただいた。焚き火を囲んでのお神酒に、たちまちいい気分になる。土地の人たちの昔話が次々に出る。松茸が採れた話。そのみつけかた等々。

 今年は、三歳ぐらいの元気の良いあかいほっぺの坊やも一緒だ。
 こんな素朴な土俗的な集まり、いつまで続くだろうか。きっとこの坊やが、大きくなったら、やっぱり幼い日の爺婆がやっていたことを思い出して、お祭りしてくれるのではないかと、その場の大人たちは儚い夢を託すのである。

 12時過ぎ、焚き火も下火になった頃合をみて解散となった。

  私は、林の出口に切り倒されていた赤松の小ぶりな丸太を何本か、軽トラに積み込んで帰ってきた。
  これで、また一週間はもちそうだ。
  お山の神様の恵みに、あらためて心の中で感謝した。



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2 コメント

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山神様のお祭 (さくら)
2007-01-23 19:55:48
何とほのぼのとしたお祭りでしょう。
焚き火はいいですね。
(最近はこんな田舎でも草や枯葉も燃やせない状態です。)

山にも海にも神様がいる、と思えば人間はもっと謙虚になると思いますが。

地域の方々とのいろいろなお話、楽しいひと時でしたね!
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焚き火は、不思議なものですね。 (蛾遊庵徒然草)
2007-01-24 00:57:03
さくら様、<焚き火はいいですね。(最近はこんな田舎でも草や枯葉も燃やせない状態です。)>とのこと。

 ここでも、原則は禁止ですが、畑や庭で出る草や木屑ぐらいは、ご近所に迷惑がかからない程度なら、許されています。

 この頃、何でも決め事が極端なような気がします。これも、常識というか、何をするにしても周囲に気配りする人が少なくなったためではないでしょうか。

 困った窮屈なことではありませんか。
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