蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

初雪に思うよしなしー「きっこ」さんの日記ー

2007-01-06 23:54:50 | 時事所感
 1月6日(土) 新年の初雪。気温1度前後。

  

  朝、寝室の障子を開けたら一面の雪だった。快晴だった前日には想像もつかない景色である。
  もっとも、夕べの気象予報では、この3蓮休は荒れ模様になると報じていたから、これは予報どおりといえる。

  それにしても、寝覚めてみての朝の雪は、なんとも言えず何か嬉しいような、はしゃぎたいような気分になる。いくつになってもこの気持ちは幼い日にくらべて、少しも色あせない。
  積もっている雪を見て嬉しく感じるなんて、雪国の人が聞けば、何を寝言をと、鼻じろまれるかもしれない。

  しかし、雪の暮らしの大変さを知らない身には、やはり格別の思いである。

  ところで雪が積もると何故嬉しいというか、心がはしゃぐのだろうか。

  その一つは、真っ白な雪が、それまで見えていた雑多な色を消し、全てのものを純白で覆い、汚いものが一切みえなくなってしまうからではないだろうか。一種の浄化作用である。

  二つ目には、その非日常的なところにあるように思う。雪に降り込められる。家に篭る。何か温かなものに包み込まれる思いである。

  そして、世の様々のお人の中には、己の所業も、適うことならこの雪で誰の目からも覆ってしまいたいと願う方々もかなり多いのではないだろうか。

  さしづめ先日来報じられている、東京渋谷の歯科医一家の妹を惨殺した次男なんかもその最たる一人ではなかろうか。

  ところで、この妹殺し事件について、昨日の「きっこの日記」を見て驚いた。

  きっこさんは、この事件について始めは書くつもりはなかったが、その実の妹の殺し方が余りにも異常なのをみて書かずにいられなくなったという。

  そしてその原因が、小泉の格差社会増幅政策にあるとお断じになっていた。一家の中でさえも将来の希望の持てる者と、失敗ばかりでお先真っ暗の者とが同居せざるを得ない状況になっていると。

  しかし、この論法は、余りにも無茶苦茶というもので、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの譬えではないだろうか? 
  こんなことまで、小泉政権の5年の成果にされたのでは、それはあんまりというものではなかろうか。

  確かに、その殺害の仕方、死体の切断など異常ではあるが、何もこれは人類史上始まって以来のことではない。

  昔、中学の英語の教科書で、旧約聖書に出てくるカインとアベルの兄が弟を殺すテキストを読んで、非常なショックを受けたことがある。

  その後、歴史を学習し読書する中で織田信長の実の弟殺しをはじめ、結構、そう珍しいことではないことを知るに及んだ。

  今回の事件だって、格差社会なんかとは縁もゆかりも無い単なる家族間の愛情の喪失か枯渇が招いた一つの特異な典型でしかないのではないだろうか。

  両親は、評判の名医とかで仕事に忙しく、三回も受験に失敗しているわが子の心の苦しみを何も忖度してやれないでいたということろに最大の要因があったのではにだろうか。

  普通の父親なら、1回目は、「次回しっかりやってみろよ」ぐらいの声をかけて、2回目となったら、本人の適正を含めて今後の人生の方向について、「何も歯科医になることだけが人生ではない」ぐらいのアドバイスを含めて、とことん話し合うものではなかろうか。

  そんなこともせず、まるで高等下宿のような自宅個室に閉じこもった息子が三年間も他の兄弟と話もしないのを放っておいたらしいというのはどういうことだろうか。

  原因はそうした家族間のコミニュケーションや情愛の欠如にあるのであって、格差社会云々とは何の関係もあるべくもないとおもうのだが。

  あの聡明なきっこさんともあろうお方が、どうしてこんな乱暴な論法で、このような特殊な事件をあたかも一般化なさろうとするのだろうか。

  そう思ってみると、どうもこの頃、「きっこの日記」を次々にご本になさってからというもの、なんだか最近の「きっこの日記」は、内容が色あせて見えてきたと思うのは果たして私、山家の隠居だけだろうか。

  かって高々と宣戦布告された、小泉、安倍玉砕のミサイルもテポドンもいつかいつかと待てど暮らせど、炸裂をみないのは、いかがされたものだろうか?

  さしずめこれまでの有力な情報源のパイプに何か異常でも生じたのではないかと思うのは、下司の勘繰りというものだろうか。

 と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。