江戸時代での平野面積当たりでは、世界一の人口を養っていたことを以前に述べました。(11月12日付け 当ブログ参照)
江戸時代の日本は、飢餓や一揆の時代だった思っている人が多いのではないでしょうか?
人口密度が高かったから飢餓が起きたとも考えられていますが、しかし、飢餓や一揆がそう頻繁に起こっている訳ではなく、常に日本の国土で当時は世界一の人口密度の人口が暮らせたのです。
これほど多くの人間を養われた理由は、日本の水田稲作が当時のヨーロッパの農業(小麦)に比べて圧倒的に収穫が多かったからなのです。
今日の絵は、”お地蔵さん”(昆陽寺境内)F8号
手入れの良い山林の土は大量の水を蓄える天然のダムの働きをし、水田に肥料とミネラルを豊富に含んだ水を供給します。
充分な水を得るためには、水田面積の少なくとも5,6倍の水源用の山林が必要だそうです。
普通の農業では、同じ場所に同じ作業を作り続けると、生育が悪くなり、収穫が減少します(連作障害)。
が、水田稲作の場合は、水を入れ替えるため有害物質が溜まらないばかりか、いつでも少しづつ土の更新が続いているため、同じ場所に何年でも作り続けることが出来たのです。
ヨーロッパでは平均すると同じ農地面積で日本の15分の1の人口しか養えなかったそうです。
ヨーロッパは過疎で、日本が過密だった事実は、日本の農業がヨーロッパの農業よりはるかに多くの人口を養えたことの最大の証拠なのではないでしょうか?
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