商人の町を代表するところが、「船場」です。
昭和34,5年ごろ、まだ白黒テレビだった頃に、視聴率が60%を超えたコメディが、この船場を舞台に制作され、これで船場という地名が全国区になったのです。
毎日放送制作の「番頭はんと丁稚どん」がそれで、船場の商家における家族関係や主従関係、そして商いの仕組みや考え方、伝統や風習、言葉つかいなどを、お笑いと涙の人情喜劇です。
ここで強調されたのが、信用の上に築かれた商売でなくてはならないということで、船場の商人哲学が、誰にでも分かるように演じられていました。
「船場センタービル」 屋上は、高速道路、東大阪線が走っています。
船場という地名は、豊臣秀吉の大阪城築城によって生まれました。
大阪城の掘割で掘り出された大量の土砂は、大阪城の上町台地の西側の低湿地帯に埋め立てられ、そこに新たに造成されたのが「船場」だったのです。
北は土佐堀川、東は東横堀川、南は長堀川、西は西横掘川に囲まれた地域で、船場という名前の由来は、諸説あります。
船着き場説、戦場説、洗馬説、千波説、などがあるのですが、特定は出来ないようです。
「船場」が「繊維問屋の町」として賑わい始めたのは、大阪紡績株式会社(現 東洋紡)が明治15年(1882年)に操業を開始してから、綿花を扱う業者が続々と船場に集まり、「船場八社」と総称される有力糸商が軒をつらね活況を呈し、繊維関連の取引が急増しました。
今、この地で代表的な建造物に「船場センタービル」があります。
この商業ビルは、大阪市を東西に結ぶ幹線道路の「中央大通り」に沿う形で、地下には、市営地下鉄中央線が、そして屋上には、阪神高速13号東大阪線が走っています。
「綿業会館」
もうひとつ、船場を代表する建物があります。
三休橋筋に面して建つ「綿業会館」で、ルネッサンス風の歴史的建造物で、2003年に重要文化財に、また2007年には近代化産業遺産に指定されています。
1931年に「日本綿業倶楽部」として建てられたものです。
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