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名字を考える・・・・① ー名字と苗字ー

2014年10月07日 08時32分16秒 | 独り言・社会・ニュース

日常生活に欠かせない「名字」ですが、平素はあまり気にしません。
それは、単なる記号、符号と捉えている面があります。
今、あるのは両親がいて、そして先祖があるからこそなのですが、最近、そのような考えをしなくなってきています。
しかし、今の自分の性格は否応なく、先祖から受け継いでいるものがあり、DNAを受け継いでいるのです。


その先祖の名字はどのようにして生まれ、どのようにして付けられたのでしょうか?


名字は、平安時代末に発生し、徐々に広まったと言われています。
このころ、武士の間で生まれた通称が「名字」となりました。
当初は、姓と明確に区分されていました。

たとえば、北条時政の名字は、「北条」ですが、姓は、「平 朝臣」です。
公式な場では「平朝臣時宗」と称しました。

江戸時代末までは、朝廷の公式行事の場で、位階や官職を与える文書では、姓を重視されていましたが、名字が広まると姓は次第につかわれなくなりました。

江戸時代には、武家身分の者だけに名字を公称することを許されていました。
「名字」の「名」とは、領地を表していました。
つまり、名字とは「領地の地名」といった意味だったようです。
それが、「出目を表す名」を意味する「苗字」と書かれるようになりました。

    

     水彩画 ”くすのきと人力車”  F10 


明治8年(1875年)に「苗字必称令」なるものが出て、全国民が名字を名乗ることになりました。

その時、私称や屋号、そして名家の名字をそのまま勝手に付けた者などがいたため、本来の家の由来というものがあいまいになりました。

なお、「名字」は、かって「苗字」と言っていましたが、文部省が「名字」を用いていたので、学校教育の場で「名字」が統一されてきました。

また、法務省では、「氏(うじ)」を正式名にしているようです。
法律上は、「氏名」・「氏」が使われています。

     

         水彩画 ”八坂の塔と人力車”  F10 



明治時代の「苗字必称令」なるもので、苗字の本来の家の由来などがあいまいになり、現在の名字もある特定の者以外は、出鱈目が多分にあります。

それでは、今でも好きな名字を名乗っても良いか、というとそういう訳にはいかないようです。
現在では、名字の変更は、戸籍法により、やむを得ない事由のあるときに限って名字の変更が出来ます。
そのやむを得ない場合とは・・・
① その名前を名乗るのことが、本人に有害である場合。
   たとえば、天狗とか赤鬼とか珍奇な名字の時。
② 識別機能が十分でなく、難読な場合。
③ 通用が長い場合。
④ 身分の発生・変動に準じる場合。
  たとえば、内縁の妻や子が死亡した夫や父の名字を望む時

つまり、余程変わった名字を持つものでないと変更は認められません。



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