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刃傷 松の廊下に異論あり

2005年12月08日 12時15分22秒 | 独り言・社会・ニュース

何故、浅野匠内頭長矩は、吉良上野介義央に斬りつけたのでしょうか?

元禄14年(1701年)3月10日~18日まで、東山天皇の勅使と霊元法王の院使が江戸に着ており、3月14日は、帰洛のあいさつが行われ予定でした。将軍の徳川綱吉と御台所、桂昌院(綱吉の母)から、勅使・院使への贈り物をするというものです。

事件が起こったのは午前11時頃、浅野匠内頭(35歳)が吉良上野介(61歳)に松の廊下で刃傷に及んだと言うものです。

 
 松の廊下の推察CG           狩野寿石秀信の筆とされています。
                       富田林市興正寺別院にある松の襖絵

刃傷事件の原因については、一般的には、上野介が匠内頭の進物の少ないのに対して意地悪をし、それに怒った匠内頭が斬りつけたものということになっています。

しかし、匠内頭は二度目の勅使ご馳走役であり、以前にも上野介に指図を受けています。匠内頭の家来も役目には慣れているはずであり、指南役に進物を送るのは、授業料・必要経費の性格で当時は常識であり進物が少ないという原因はないと思われます。嫌がらせをすれば、指南役として上野介の責任となり、意地悪云々はありえなかったと思われます

  
 吉良上野介の肖像画         吉良家の家紋(二つ引両)
                       「清和源氏足利氏流」

原因として匠内頭の痞え(つかえ)の持病があり、突発的に起きた乱心説。
饗応費の出費の問題で意見が対立したとする饗応費説
両者の国許の塩田の製法と販路をめぐっての塩田説。

色々な原因の説がありますが、どれも決定的ではなく、空想の域を出ず、この刃傷事件の真相は、今もってとされています。


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