映画「日本のいちばん長い日」を見てきました。
封切り後1週間足らずですが、観客は1/3程度で、ほとんどが年配の方でした。
今から丁度70年前に、日本の運命を左右した重い、重い日があったこと、そして今の平穏な日々が暮らせるのもこの日があったことを思い知るべきです。
この映画がノンフイクションで、日本人なら、ある程度この時代の歴史的事実を知っておくべきであり、そうすることで、この映画はより理解出来るものになります。
戦争を始めるのは案外と意気揚々と始めるのでしょうが、その戦争を終えるには大変な努力が必要で一筋縄にはいかないのです。
「日本の一いちばん長い日」は、昭和天皇(本木雅弘)の玉音放送が録音された1945年8月14日からそれが放送される15日の正午までの24時間を描いた映画です。
この時の国内の混乱の判断を誤れば、今の日本はなかったといっても過言ではないでしょう。
映画は、1945年4月 鈴木貫太郎(山崎 努)が固辞するなか、昭和天皇の強い要望により鈴木内閣が誕生するところから始まります。
戦局は絶望的となり、7月にはポツダム宣言の受諾を迫まれるなか、降伏か本土決戦か、連日連夜閣議が開催され紛糾されます。
昭和天皇
その中、8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ、ソ連の参戦も現実のものとなり、8月14日の御前会議で、降伏を決めます。
所が、本土決戦を唱える陸軍の若手将校らが抵抗し、これがいわゆる宮城クーデターと言われるもので、その中心となったのが陸軍の畑中少佐(松阪桃李)です。
そのはざ間に苦慮する阿南陸軍大臣(役所広司)との駆け引きが日本の将来を決めてゆくことになり、最後には阿南大臣の切腹ということで時局を収束します。
阿南陸軍大臣 鈴木貫太郎首相
この映画の主題は、たくさんありますが、その一つに「聖断」というのがあります。
もともと天皇は、立憲君主制にして政治的判断は避けてきました。(2・26事件など2,3の聖断があったとも言われていますが・・・)
が、この御前会議では、鈴木首相の”前例がありませんが・・”という前置きで聖断を願い出ており、これが決めてとなったと言われています。
この鈴木首相も死刑を覚悟して戦争を終わらせようとしており、その首相を推挙した天皇との連携プレーがあったのではないでしょうか・・・
鈴木貫太郎首相は、最後の江戸時代生まれ(1868年生まれ)の首相で、二・二六事件などで大怪我をしており、政界引退を考えていたところ、思いがけない大役が回ってきました。
「皆、国を思う情熱でした」
鈴木貫太郎首相が劇中、つぶやいた言葉です。
これが、この人の、そしてこの国の人たちの言葉なのでしょう。
畑中陸軍少佐
当時の陸軍の本土決戦という考えは、さらに2000万人の犠牲もやむを得ないという考えのもとに勝てると言っているのです。
これをもって、この国を思う情熱だったとは到底思われませんが、この危険性を阻止出来たことが、今の日本の平和であり、二度とこのような考えをしないようにしなくてはならないという教訓でもあるのです。
これを押えたのは、昭和天皇、鈴木貫太郎首相だけではなく、あの阿南陸軍大臣も・・・です。
いずれにしても、この事実をしっかりと知った上で、今の平和な日本があることを忘れてはなりません。