大阪で1月に最低気温が10度を超えた日が二日続いたのは、この3,4年なかったようです。(僕の記憶では・・・)
この冬は、やはり暖冬なのでしょう。
今日から2月です。 プロ野球もキャンプインし、春の話題が次々出てきます。
が、寒さはまだまだ続きます。
という話とは、関係がありませんが、明治41年(1908年)2月1日、東京の警視庁は、巡査派出所を「交番」と改称しました。
大正時代の交番
交番のルーツは、江戸時代の番所にあります。
一口に番所といっても、辻番・自身番・木戸番などの種類がありましたが、基本的にはすべて江戸の町人の自警組織です。
つまり、その土地の地主が中心に、その本人自身や家族が詰めて町の治安の維持に努めていたのです。
江戸の人口は100万人を超えていましたが、その治安を預かっている奉行所の同心は南北両奉行所でわずか24名、彼らが個人的に雇った岡っ引きもいるにしても、番所という存在がなければとてもこの巨大都市は平和に保たれなかったでしょう。
江戸末期には、番所の数は1000ヵ所程度にも達していたそうです。
明治維新後、新政府によって警察が設置されると、番所を基準に巡査たちの詰所として、巡査たちが交代で番を詰めるということから「交番」として設置されました。
この交番は、東京に先立って神奈川県で、明治4年11月27日に設置され、毎月27日は、現在も「交番の日」となっています。
警視庁では、明治14年にこの交番制度を整備し、「巡査派出所」の制度を発足させます。 明治21年には、派出所は主として都市部に設けられ、駐在所は主として村に設けられ、警官が家族とともに赴任し地域社会の一員として活動するもので、この制度は、基本的には現在も継続しています。
交番の建物も色々です。
仙台市内にある交番 浦安市内にある交番
浅草にある交番 市川市内にある交番
最近、この交番制度が日本の高い治安レベルとともに注目され、諸外国でもこれをまねるところが出て、そのためKOBANという単語が英語でも通用するようになってきており、警察庁は1994年から「交番」の名前を規則上でも正式に復活させました。