民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

宮澤佳廣『靖国神社が消える日』を読む

2017-12-19 10:55:00 | 読書

昨日、信濃1月号の初校ゲラを印刷所に戻し、長野県民俗の会『通信』1月号の原稿を集めて担当編集者に送り、ほぼ今年1年の仕事は終わりました。『道祖神碑一覧』の編集作業はまだ来年も続きますが、一段落したのは間違いないです。

そこで、友人に紹介してもらった標記の本について書きます。著者は安曇野生まれ(穂高神社の神官かな)で、靖国神社の元禰宜だといいます。著者は、このままでは将来、靖国神社が消滅してしまうことに強い危機感をもって、本書を執筆しています。私は消滅した方がいいと思っていますから、出発点からして違います。靖国神社はかつて1回参拝しました。遊就館の展示には東京裁判は認めないという強い意志を感じたものでした。そんな私ですが、この本を読むのは、正直苦痛でした。共産党と朝日新聞に敵愾心を持っている著者とは、たとえ話してみても折り合いがつかない気がします。

靖国神社は「国家防衛」という”公務”のために死没した人々の神霊を祀るために、明治天皇の思し召しにより国家によって創建されました。こうした由来、神社の理念と目的は、どれだけ時が経ようとも、後世のいかなる力をもってしても変わりようがない。厳然とした歴史的事実なのです。

まさに著者の言う通りです。だからこそ、あたかもそれをこの国の伝統と定めることに同意できません。人を神として祀ることは、この国になかったわけではありません。人を祀った代表といえば、菅原道真でしょう。この世に恨みをもって死んだ人の魂は仇をなすので、祭り上げなくてはならないと考えたのです。平の将門もそうですね。それから、偉大な業績のある人も神になりました。豊臣秀吉、徳川家康などですね。ところが、無名の市井の人が神に祀られ不特定多数の人々に礼拝されるというのは、靖国神社以外にはないと思います。神式の葬儀で、人は死ぬと神になりますが、それは身内にとっての先祖としての神であり、見ず知らずの人にとっての神ではありません。天皇のために死んだ人々を祀るため(そこには怨霊となることを防ぐという意味もあったかもしれません)、天皇が作った神社なのです。また著者はこうもいいます。

 繰り返し述べるように、靖国神社は、国家防衛という公務のために死没した246万6000余の神霊を祀る国の施設「official」であり、国民「common」が国家の平安を祈るために設けられた施設です。
 それは靖国に祀られている個々の神霊が、それぞれの家で子孫によって祀られる御霊であると同時に、国家国民によって祀られる御霊であることを意味しています。そして、それぞれの家を守る家の守り神(祖霊)であると同時に、国家国民を守る守り神(神霊)であることをも意味しています。だからこそ、戦死者及び遺族にとっては、靖国を身近に感じ、合祀されること自体が精神的慰籍になったのです。

あまりにも戦前の家族国家観そのままの記述であり、これで皆が納得すると考えているとすれば、あまりにも惨いです。家を守る祖霊が靖国の神霊でもあるという論理は無理です。戦死のために家が絶えることを無視して、天皇のために死ぬことを強い美化したことを無視して、祖霊と神霊を同一視するのは誤りです。家族のことを考えれば死んではいけなかったのです。さらに、「国家防衛のために」という前提が誤りです。他国の侵略のために戦に出かけたのです。たとえ本人にそうした意識がなかったとしても、今となっては侵略であったことは明らかですから、祖国防衛のために命をかけたと一方的に美化することはできません。

 遺族が亡くなり、靖国にお参りする人がなくなって靖国が消滅したとしても、人為的に作られたものですから、目的がなくなれば消滅して当然だと私は思います。