民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

生野へ

2017-10-18 11:34:36 | その他

年会2日目は多くの会場で同時進行に研究発表がなされます。研究発表要旨集を読んで、面白そうな発表を聞きにいくわけですが、年々、こちらが年を取ったせいか、聞きたいと意欲を感ずる研究が少なくなりました。そして、これも例年のことながら午前中だけいて、昼を食べたら帰るのです。午前中聞いた研究発表でコメントするとしたら、関西学院大の院生が発表した、「ヴァナキュラー宗教の民俗誌ー稲荷信仰の事例からー」というものでした。アメリカ宗教民俗学からの輸入概念を使って、現在進行形の稲荷信仰を分析するという発表でしたが、「ヴァナキュラー宗教とは、生きられた宗教、すなわち人々が出会い、理解し、実践する宗教」だというのですが、発表のあと「生きられた宗教があるなら、生きられない宗教があるのか」という鋭い質問に対して、発表者は答えられませんでした、というか質問を拒否したといったほうがよいでしょうか。発表者は直輸入の概念を本当には理解していないと感じられました。そんなこと言う前に、稲荷信仰とか現在進行形の宗教行為の意味だとか、伝承と創造だとか、分析しなければいけないことはたくさんあるじゃないか。カタカナ使えば人をはぐらかせると思ったら大きな間違いですよ、といってあげたくなりました。

昼を食べて神戸の友人が生野の山中に設けた山の家と呼ぶ別荘へ移動しました。このコースは、京都から山陰線きのさき号に乗車して和田山で下車して乗り換え生野へ、生野から友人の車で朝来市黒川という山中に入るというものでした。帰ってきてから地図で確認してはじめて中国山地のどの辺りかがわかったありさまで、つれていってもらったときは、どこに自分が位置しているのか不明でした。

周囲を山に囲まれ、すぐわきを川が流れる場所に「山の家」はありました。何やら足場を組んであるのですが、それは6月から設計図を書いて計画し、私の到着までに何とか間に合わせてくれたという、薪ストーブの煙突を設置するためのものでした。ストーブと煙突を購入し屋根に穴をあけて部材をはめこみ、素人だけで設置したというのです。まだ屋根のスレートはふき直してないのですが、ともかく初だきです。

ストーブ本体が冷えているので、なかなか火がつかなかったのですが、私も手伝って無事に着火。火事にもならず、めでたく燃えたのです。それからストーブをたきながら、夜中まで語りました。テレビはありませんが電気はあり電話も通じます。水道は川の水をろ過して使い、下水も自前の浄化槽で処理しているといいます。家のまわりの山林や杉の木も、家に付属した自分の物だといいます。ヤマヒルがたくさんいるから周囲の手入れはしないといってましたが、すごい所を購入したものです。友人は特別器用でもないし、ワイルドでもなく、カメムシがいやだと奥さんにとってもらっていたのですが。