民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

沖縄へ4 神の島久高島

2014-03-17 08:43:02 | 民俗学

 沖縄本島の東の海上に、久高島はあります。琉球の神話によれば、人類の始祖アマミキヨが天から初めて地上に降り立った地であり、五穀発祥の地としても知られ、歴代の琉球王朝から深く尊崇されてきたウタキのある神の島です。この島に渡るため、高速フェリーののでる知念安座真港に近いペンションに前日は泊まりました。朝9時のフェリーで島に渡り、依頼してあるガイドさんに島を案内してもらう予定をたてていました。戦跡見学を終えてペンションに着くと、明日の予定を話して港まで車で送っていただくよう依頼しました。ペンションは海岸の斜面を下りた海に面した所にありましたか、一旦上の道まで戻って港へ行かなければならなかったのです。合わせて、1時に帰ってきたら港に近いという沖縄第一の聖地、セーファーウタキに行きたいとお話しすると、朝は送ってくれ車に荷物を預かっておいて帰ってきたら迎えに行き、セーファーウタキの入場券を買う場所まで車で送ってくれるという話になりました。ありがたいことですので、お願いしました。
 さて、5日の朝です。天気は曇り。晴れていないのが残念でしたが、贅沢はいえません。と、7時頃でしたか、久高島観光協会から電話があり、海が荒れそうなので午後の船は欠航となるが、どうするかという。せっかくここまで来たのだから、短縮で案内してもらってでも島に渡りたいとお願いしました。朝食をいただきながらペンションの方に話すと、島との間の海は流れが速く、ここまできても船が欠航で島に渡れないことがママある。でも、神の島だから神様が来るなといってるんだから無理しないで、またこの次と皆さん思われるんですよ、といわれました。ともかく半日でも島にいられるということで、豪華な朝食をそそくさと食べ、港に向かいました。

  

 

確かに波は荒いのですが、高速船はその波を切って進んでいきます。30分弱で久高島に着くと、ガイドな方が待っていてくれました。最初に案内してもらったのは、島の第2の聖地だというイシキ浜でした。ここでは、2月中旬と12月末に大きな行事であるウプヌシガナシーが行われるそうです。昨日も祭りが行われたということで、昨日なら、イシキハマより北へは観光客はいけなかったといわれました。ウプヌシガナシーとは、神女が男性の健康祈願と五穀豊穣を祈るものだといいます。女性の健康祈願をしなくていいかといえば、女性は生まれながらに男性の家族を守る力を備えているのだといいます。(今回は写真中心の説明とし、次回もう1回島の信仰についてついて書きます。)

 真ん中の写真は、イシキ浜に出る小道の脇にしつらえられた拝所です。1畳ほどの土地に白いサンゴのかけらを敷き、その周りを黒い石で囲んであります。その海と反対方向に香炉が置かれてあります。何でもないような四角な石が香炉です。島以外のあちこちの拝所でも見ることができました。この香炉にヒラウコウという平べったい線香を、6枚あるいは12枚と酒を供えて、神女は祈願するのだといいます。ウプヌシガナシーでは、各家では2月に浜で一人3個ずつ家族の人数分の石を拾い、神役に祈願してもらって家に持ち帰り祀っておく。この石はサンゴの白い石ではなく、黒く硬い物を選ぶ。神役は、東方の海に向かって白い石を前にして並び、海に向かって祈願する。下左の写真の小さな黒い石がのっているいる石です。この白い石は、イシキ浜に出る道からまっすぐ海に向かう浜辺に置かれていました。拾った黒い石は、石の手前つまり陸側に置かれました。神役が祈願する東方海上にはニライカナイがあり、祈願するとニライカナイの神が海を伝ってやってきて、浜に上陸するのだといいます。上の右が、ニライカナイを臨む海です。ここで私は感激のあまり泣きそうになりました。2月に借りて行った石を、12月には浜に戻すといいます。だから、この浜からは石ころ一つ持ち去ってはいけないのだそうです。イシキ浜には、こんな神話があるそうです。昔、黄金の壺が浜に流れ着いた。少年が拾って母と持ち帰り、開けてみると5つの種が入っていた。麦と粟と稗と大豆と小豆である。これは神のおぼしめしだといって、島の中央部でまいて育てて島にひろめ、それが本島にも伝わって穀物を栽培するようになったという。だから、久高島は穀物発祥の島ともいわれる。多分もっと長い話の断片でしょうが、穀物起源神話が伝承されているってすごいことです。