民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

家族と駅

2013-07-16 12:30:18 | その他

子どもたちが、退職祝いをするがどこがいいかというので、海の見える温泉がいいというと、千葉の海辺の温泉をとってくれました。香港に出張の長男を除いて、東京駅で家族が集合してホテルへと向かいました。夕方、羽田から長男が直行し、宴会をしたという次第でした。ついこの間までは、親がセッティングして子どもたちを連れて旅行に行っていたことを思い出すと、月日のたつのは早いものです。翌日は、また皆で東京まで一緒に帰り、そこで解散して私と妻は江戸東京博物館へ向かったのでした。
家族が駅で集合して共通の体験を過ごし、また駅に戻ってそれぞれに分かれる。このことは、レヴィストロースの隠喩をそのまま目に見える形にしていると、感じました。『親族の基本構造』で 世界中の家族の構造を分析した人類学者のレヴィストロースは、家族とは人類史の中での駅のようなものだ、そこで一旦とどまったり乗降客を迎える場所だ、というようなことをいっていた記憶があります。学生のころにこれを読んだ時は、そうなんだと頭で理解していたのですが、この年になり子どもたちも自立すると、確かに家族皆で暮らした時間は駅でのひと時で、それぞれがまた自分の路線に乗って旅立っていくのだと、子どもたちが計画してくれたこの旅を通して実感したのです。