民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

川田順造のこと

2007-02-04 14:54:35 | 民俗学
 義父が亡くなり葬儀をし、自分の父母が弱ってきて土日は様子をみてやらねばならず、妻はインフルエンザで寝込み。と、時間がなかなかとれずに読めなかった、川田順造「文化人類学とは何か」(『文化人類学』 71-3)をようやく読了する。
雑誌論文とは思えない力作であるし、氏の学問への熱い思いと年齢を感じさせない瑞々しさがストレートに伝わってくる。
 川田先生は、民俗学会の年会で何度かおみかけし、不遜にも懇親会では自分から話しかけて会話したこともある。その業績からして、まさに仰ぎ見る大学者なのだが、その学問への思いにおいて自分のごとき市井の民俗学徒と重なる部分もあることに、正直喜びを感じた。それは、学問は世の中の役に立たなければいけないのかという問題である。応用民俗学がとりざたされている、というかそちらへ向かわざるをえないと考える研究者が多い現在、役に立たないことで長い目で見れば人類の役にたつのだ、という指摘には全く同感だし、であるがゆえに現在の政治状況について敏感でなければならないし、何らかの形でコミットしなければならないということも頷ける。これまで意図的に接触を避けてきた靖国神社も、研究者の目を持って訪れてみたいし、自分の目で確かめてみなければならないと思った。
 川田先生の他の研究者との違いは、自分の方法論を明確に意識しつつ今なすべき戦略を立て、グローバルな視点から自分を位置づけている所にあると思う。自分には見習えるような基礎的学力があるわけではないが、客観的に自分の研究と方法論を認識し研究の方向を見出すことと、理論を実践に移す誠実さと行動力、そして何より若々しい感性を見習っていきたい。