民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

アメリカ事情

2006-06-26 16:34:31 | 教育
 奈良の高校生が、継母と腹違いの弟妹を放火で死なせた事件があった。鎌倉時代、戦国時代の武家社会なら、おそらくそんなに珍しくない出来事だっただろう。現代と家と家族を考える上で、不謹慎な言い方であるがぴったりの事例だろう。だが、今回はそれはおき、1年の留学を終えて帰国した長男からきいた話を書こう。本人もどこかには書くのだろうが、こちらは彼の話から思ったことをまとめたい。
 まず、留学したのはインディアナ州のカレッジであるが、田舎の大学であるにもかかわらず、人種構成の多さに驚く。2人1部屋の寮のルームメイトは、黒人の1年生。彼は、周りには麻薬の売人が一杯いるような環境でも一生懸命勉強して、奨学金を得て大学に進学したという。テニス部で一番仲良しだったのはタイ人だそうだ。それから、パレスチナ人、スペイン生まれの白人、ドイツでうまれ韓国で育ちドイツなまりの韓国語風英語を話すアメリカ人。こんな中で、英語だけを頼りに1年も暮らしていたなんて我が子ながら、すごいやつだ。
 息子は、今「うちの大学は」というときは、アメリカの大学をさしている、日本の在籍早稲田よりも強く誇りと愛着を留学先に抱いたようだ。それはなぜかといえば、学生が本当によく勉強しアルバイトなど普通日にはぜったいできないという。レポートですら、2度3度と教授の手が入り、徹底した少人数の中で学生はきたえられるのだという。ゼミの討論はものすごいプレッシャーで、座長になればもっとすごいという。日本の大学と学生では太刀打ちできないそうである。その緊張感と、レベルの高さに魅了されたようだ。
 学生のレベルの高さもすごいという。現代の日本と中国の外交関係にやたら詳しいやつがいて、日本も中国ももっと相手のことを考えなければいけないと、日本人自分に説教する。アメリカ人の言われなくてもいいよ、といってやりたいよ、という息子はその友達の見識の高さに舌を巻いている。
 環境が人を育てるとすれば、何とインターナショナルに育ってきたことか。もう親からは想像もできない世界だ。こうした人間が増えていけば、それは自分の心の問題だなどと国際情勢も理解せず、自らの狭い価値観を他国に押し付けるような度量と教養のなさはこの国から無くなって行くのだと思われる。