民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

クロといた頃 2 ガミさんのこと

2005-08-07 12:45:44 | 教育
 今回は1年の時の担任だったガミさんのことを書こう。ガミさんこと石上順先生は、個性豊かだった教師陣の中でも、とりわけ異彩を放っていた。教えていたのは古典で、源氏物語の授業には、石上源氏とかいって定評があった。ガミさんの古典の根底には、民俗学があった。(ちなみに石上堅氏はご兄弟だそうな)折口の教えを受けたといわれ、本文中に記述される行為の背後にある意味を解き明かされるとき、例えば後朝の別れとは、着物に付着している相手の魂と1つになるために着ているものを交換するのだ、などといわれると高校生の自分は、なにやらうっとりとした思いとなったものだ。そして、まるで大学生に話すようにまるで子どもの自分達に話し掛けてくれるから、生徒からの人気も高かった。私もそうしたファンの1人であったし、民俗学への憧憬もこの時期に養われた。自分には恩師と甘美な響きで呼べる先生はいないが、あえて一方的にいうならガミさんだ。
 ガミさんの授業は(講義といってよいものだった)は、大変深みのあるものだったが、いかんせん自習が多くて、授業はあまり進まなかった。そのため、考査の前にはかなりなスピードで進んだり、時にはプリントを配ってすませることもあった。このプリントがすごかった。3ミリ方眼の原紙に活字のようなきれいな字が、びっしりとならんだ本文と解説である。私はこのプリントを見ただけ、そのすごさに内容も理解せずうっとりしてしまった。数十年もたった今も、このプリントを大事にとってある友人もいる(民俗学の見地から出版できないかと相談されたこともある)から、うっとりしていたのは自分だけではないだろう。自習にしてプリント配り、そのプリントをありがたがる生徒がいたんだから、よき時代ともいえるがガミさんもすごかった。自習のときガミさんは、授業なんかより友とダベル自習のほうが意味があるのだから、大事にしろと、生徒の自尊心をくすぐってくれた。でも僕たちときたら、早弁をするか、体育館で卓球でもして遊ぶくらいしか能がなかった。
 ガミさんはスタイリストだった。まず、髪はオカッパにしていた。当時そんな大人は見たことなかったから、かっこよかった。そして、黒縁めがねをして白いタートルネックのシャツに、黒のダブルかシングルのスーツをきていた。烏族なんてものが現われるずっと前のことであるから、これも強烈な印象だった。このスタイルは当然真似する者がでる。教え子の中に、オカッパにする者がいたし(例えば現文書館館長など)、自分もしばらくタートルネックにこったこともある。