毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

高麗神社

2008年10月10日 08時41分01秒 | 観光

 聖天さんに隣接する高麗神社。
 ここでもチャンスンがお出迎え。天下大将軍と地下女将軍。
 日本でも村の入口などで守り神の役割をする道祖神は男女神で表されることが多い。
 自転車を停めているとなにやらにぎやかな音楽が流れてきた。


 リューダ祭というらしい。
 「東にホージョ」「西に大地」「南に竜蛇すめば」「北に我らはじける」
 4つののぼり周囲に置き、その中で子どもたちが踊っている。
 彼らの動きは非常に躍動的で、秩序だった混沌を思わせる。なにか根源的な力を表現しよう、そんな意図を感じる。


 踊りがクライマックスに達すると竜が現れる。
 竜はすべての始まりであると同時に、水を支配する水神でもある。


 好太王碑の模型。中では高麗神社の文化財を展示しており、神社の人の解説つきでこの碑のさまざまな拓本を見ることができる。
 先ほどの祭もそうなのだけれど、この神社は人と人とを結びつけるその中心の場所になっている。ほかにも高句麗の衣装を展示していたり、神主の作法入門(無料)や一日巫女さん(昼食代500円)など、いろいろな活動を通じて神社と人が結び、その結果人と人とが結びつく、かつて村の鎮守がそうであったようなアクチュアルな場として生きている。
 ぼくの行った2日前には狂言が奉納され、5日後には韓国の伝統音楽が披露されると言う。
 神社が生きている。



 裏山の偉容。
 のちになって知ったのだが、やはり白髭神社はここの分社だった。だけれど、ぼくの知る限り白髭神社の祭神は猿田彦で高麗王若光を祀っているところはない。猿田彦かあ。太陽が沈む出雲で生まれ、太陽の昇る伊勢で死んだ神。ぼくは猿田彦は天照大神以前の太陽神なんじゃないかと思っているのだけれど、それと白髭神社とがどう結びつくのかわからない。
 わからないことを一杯抱えているって、ある意味財産だよなあ。

 昨日に続き、ノーベル賞。ル・クレジオがノーベル文学賞を受賞した、と。わお! そうかあ。やったあ、と。言葉や文明に対する鋭い感覚に啓発されることが多く、高校時代からよく読んでいた。やったね、ル・クレジオ。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野田隆「テツはこう乗る」

2008年10月08日 13時03分46秒 | 読書
野田隆「テツはこう乗る」      光文社新書


 日本で一番長いホームのある駅はどこ?
 日本で一番大きい番数のホームのある駅はどこ?

 わかります?
 実はこの2つ、同じ駅なんです。正解は最後に(おいおい)。
 自転車であちこち行くようになって、不思議なことに鉄道が好きになった。移動手段が行きが自転車、帰りが鉄道という形態を多く取るようになって、鉄道と接することが多くなったからだろう。
 去年の夏に鶴岡から新潟まで乗った羽越本線なんか旅情豊かでよかったなあ。
 などと少しテツ分が蓄積したかな、と感じた昨今、手にしたのがこの本「テツはこう乗る」。
 マニアというのはディープな世界である。自転車一台に100万円払う人もいれば、自宅をお城に改造してしまう人もいる。それと同様、テツも奥が深いのだ。ぼく程度の人間は普通の範疇で、とても鉄道マニアなんかじゃないことがよくわかる。
 ひと言でテツと言ってもいろんな人がいる。なかには鉄道に乗ることにあまり興味がない人さえいるんだそうだ。
 たとえば古い型の機関車の模型を作ることに一生懸命になっている模型テツ。そういう人にとって現実の山手線や羽越本線が興味の対象であるとは限らない。なるほどね。
 その分類によれば、ぼくは「乗りテツ旅情派」らしい。乗りテツにはほかに記録派があり、こちらはたとえば一つの路線を全線制覇(各停じゃなきゃだめだの、いや、全駅下車じゃなきゃだめだの、人によって基準はまちまちだが)するとか、一つの駅を2度通過することなく最長の片道旅行をするとか(これは現在、稚内から佐賀県の肥前山口までが最大らしい。その距離12000キロ弱。ちなみにパリから北京までがおよそ16000キロ)。
 そんなマニアックな世界がかいま見られる。野次馬根性で見てもおもしろいし、好きな人にはそれなりの情報もある。まあ、気軽に読める楽しい本でありました。

 あ、冒頭のクイズの解答をば。
 答えは「京都駅」。京都駅0番ホームは、30番ホームとくっついていて、全長約558m。
 そしてまた京都駅には34番ホームがあり、これが日本一大きい番数のホーム。
 ちなみに一番ホームが多いのは東京駅(28番)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高麗の聖天さん

2008年10月07日 09時45分06秒 | 観光
 時は7世紀。朝鮮半島では新羅の力が増大し、百済、高句麗は相次いで滅ぼされ、日本に半島を脱出した多くの渡来人がやって来る。そのうち、高句麗王族の高麗若光は一族を率いてこの地を開いたんだそうだ。
 彼が亡くなると一族は高麗神社を建立し、若光の子孫が代々宮司を継いでいる。で、若光の子どもの一人が聖天を祀ったのがここ、聖天院なのである。まあ、ここも明治の神仏分離という愚策の波をかぶっているわけ(聖天院と高麗神社は隣同士)。


 聖天さん、正式には高麗山勝楽寺。
 朝鮮半島のチャンスンが建っている。
 東京の人間からすると聖天さんというと待乳山。また群馬との県境にある妻沼の聖天さんもぼくには楽しいところだった。
 この日はぼくのほかにも自転車でやって来た人たちが結構いて、そのうちの一人としばらく話したりしてた。来る途中、知らない人と引っ張り合ったり、自転車を媒介にすると人はつきあいやすいのかもしれない。


 多くの寺院では仁王が祀ってあるんだけど、ここには風神・雷神がお出迎え。ぼくは韓国や北朝鮮に行ったことがないからわからないが、向こうでは割と見られることなのだろうか。


 高麗王廟。若光の墓とされる石柱。
 若光は年老いて白い髭が生え、白髭様と呼ばれたらしいが、白髭神社とはまた別物の筈。


 この上の部分を拝観するには拝観料300円が必要。関東の寺社で拝観料を取るところは割と珍しい。鐘をつくのは100円だそうだ。こないだの達磨寺とは大違い。


 石灰岩の露頭。雪山と呼ばれているらしい。
 秩父からこのあたりは石灰岩が偏在している。


 在日韓民族無縁仏慰霊塔。
 東京からわずかな距離で異国を思う。関東大震災や第二次世界大戦では日本人のみならず多くの朝鮮人も亡くなった。中には震災後のデマで殺された人たちもいた。同じ場所にいる者としてその人たちを思うのだ。


 寺の境内に咲いていた白い曼珠沙華。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

巾着田は地蔵通りか竹下通りか

2008年10月01日 14時34分33秒 | 観光
 「大咲」でラーメンを食べた、ってとこまで紹介してから中断期間のなんと長いこと。われながら。
 さて、うまいラーメンを食べて、ぼくは再び自転車に乗ったのだが、ここに大きな落とし穴が。ご紹介した通り、大咲のラーメンは普通でも多い。他店の大盛りに匹敵する。
 ただでさえ食べたばかりで自転車をこぐのは、辛いのに。でも、知らなかったんだもん、麺少なめというオーダー方法を(あとから来た女性客のほとんどがこれを注文してた)。去年の秋、金谷ホテルの朝食がうまいとごはんをおひつでお代わり(でも茶碗2杯分だけどね)して、いろは坂を登ったときのことを思い出した。
 進歩という言葉を知らない。


 そんなこんなで巾着田着。手前数キロから大渋滞。巾着田だけじゃなく、たぶん秩父まで続いているのではないか、と思う。その横をスイスイと抜いていく快感。
 でもね、車がそれだけ混んでいるってことはだ、ちょっと考えてみれば人も多いってこと。そんなとこで快感を感じてちゃだめなんだよ。


 日曜日の竹下通りと化している巾着田。結局本当に一番混むメインのところへは行かずじまい。だって、MTB用とは言えシューズは歩きにくいし、格好はレーパンだし、視線は突き刺さるし。


 結局巾着田近辺で撮ったのはこれだけ。メインのところは絨毯のようだって言うのだけれど、ま、ラーメンうまかったし、悔いはなし。
 で、高麗に来たんだから、ここはやはり聖天さんと高麗神社には行ってみたい。
 そんなわけで次回は、高麗で遙か朝鮮半島を思うの巻。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする