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矢作俊彦 「ロング・グッドバイ」

2007年10月30日 13時52分41秒 | 読書
矢作俊彦著「ロング・グッドバイ」       角川書店


 もともとその作風にレイモンド・チャンドラーの影響を大きく感じさせていた作者だけれど、この本ではタイトルからして「ロング・グッドバイ」である(「The long goodbye」ではなく、「The wrong goodbye」であるが)。マーロウとテリー・レノックスの世界である。そしてマーロウとテリー・レノックスの物語と同じように、この物語も始まり、終わる。だからチャンドラーを読んでいる人間には、終わり方はなんとなく予想できるものでもある。
 物語の舞台はもちろんヨコハマ。横浜ではなく、ヨコハマの方があっている。
 レイモンド・チャンドラーの描くLAが小説的ポトスであるように、矢作俊彦の描くヨコハマは現実の横浜とないまぜになりながらも、リリカルでハードボイルドの似合う、まさに二村が活躍しそうな小説的な街になっている、あとヨコスカも。
 二村は、「リンゴォ・キッドの休日」で登場したカナガワ県警の刑事。その後「真夜中へもう一歩」で登場したが、以来20年以上姿を現すことはなかった。
 本牧のアメリカ軍は撤退し、昔デートで行ったリキシャルームも閉店した。本牧には軍の権謀術数や男と女の深謀遠慮も消え去り、マイカル本牧は家族連れで休日賑わっている。
 刑事の二村が今時、携帯電話すら持っていない。
 二村のヨコハマは横浜とは違う世界の物語だ。それでいいのである。
 前作「ららら科学の子」と同じく、ここには祖国喪失の物語がある。
 どちらにおいても、戦争や災害などで国を失ったわけではなく、自ら選んで国を捨てた人間たちが登場する。
 祖国を捨てた人間を中心に、多くの思惑が錯綜し、人が死んでいく。どうしてそうなるのか、その背景はどうなっているのか、こうした疑問がミステリ小説を読み進ませる牽引力となるのだが、その部分についてはちょっと弱い気がしないでもない。
 もう、ヘミングウェイもチャンドラーも小説のヒーローじゃないし、長嶋の球団は他の人が監督をしている。それでも、ヨコハマでは、この3つは神聖なまま生き続けているのだろうし、そうしたヨコハマを出現させたのは矢作俊彦の筆力だと思う。

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