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今週のCD&DVD

2009年02月20日 13時25分43秒 | 音楽

 伊福部昭「ゴジラ・交響ファンタジー」 金洪才指揮大阪シンフォニカー
 最初の一音からワクワク。懐かしいあの響き。ゴジラ登場の音楽にばかり気を取られていたけれど、それだけじゃない豊かな音楽が鳴り響く。
 「シンフォニア・タプカーラ」はアイヌ語「タプカーラ(立って踊る)」の名の通り、心情のまま、喜び、悲しみにつれ舞い踊る様が、どこかストラヴィンスキーの「春の祭典」を思わせる響きとともに歌われる。それに「オーケストラのためのロンド・イン・ブーレスク」。ああ、コレも懐かしい。自衛隊出動の主題が繰り返し使われている(映画の中で怪獣に向かっていく自衛隊)。
 引き出しが豊富でしかも生々しい音楽。



 レブエルタス「レブエルタス作品集」エサ=ペッカ・サロネン指揮ロスアンジェルスpo
最近気づいたんだけれど、ぼくは思っている以上にラテン・アメリカの音楽が好きだ。もともと中学、高校をギター部で過ごしてるんだから、バリオスやヴィラ=ロボス、ポンセなんかとは10代から親密なおつきあいをさせていただいております、って関係だった。
 で、最近ニャタリやブローウェルなんかを聴いたりして、あ、俺ってラテン・アメリカ好きだったんだと改めて再認識したわけです。
 レブエルタスはドゥダメルがシモン・ボリバル・ユースオーケストラを指揮した「ラテン・アメリカ傑作集」で知った(と同時に、ヒナステラという作曲家も)。ドゥダメルのこのCDは最後の「マンボ」も含めていろんな収穫の詰まった楽しいものだ。
 で、レブエルタスの「センセマヤ」の他にも聴きたくなって探したのがこれ。
 圧巻はやはり4部からなる「マヤの夜」だろう。第3部「ユカタンの夜」の叙情が第4部「魔法の夜」のカオスへと変貌する様は興奮させられる。カオスにはコスモスにはない、すべてがある。すべてがあるから混沌で、そこから何かを排除しない限り秩序は生まれない。人はコスモスの中でしか生きられないが、それは精神の疲弊を招く。周期的にカオスに立ち返らなければ生きていけない。コスモスからはきれいに死は排除されているが、カオスには死も存在する。死に近づき、人々は活性化するのだ。
 レブエルタスの「魔法の夜」は、ベルリオーズの「幻想交響曲」ワルプルギスの夜以上に夜のカオスを表現していると思う。



 「シャカリキ」
 最近の日本映画って面白いと思いません?
 昔なら、どうせまたこんな感じだろう、などとたかをくくっていたら、その通りならまだしも、それ以下のつまらない展開、考えもない描写、くそみたいなセンチメンタリズムが延々展開されたものだ。
 でも今は違う。何かってえと人類が滅亡の危機に陥っちゃうアメリカ映画よりも、日本映画の方が面白かったりする。若干の例外を除けば。
 その例外がこれ。すごい。全員学芸会レベルの演技。紋切り調の設定と展開。あり得ない状況。たとえば50万もするんだぞ、この自転車、という自転車のリアディレイラーがSORAだったり(その半額のロードバイクだって105をつけてる)、自転車部にデブがいたり(男子群像にデブキャラは必需品なんだろうけど)。
 「自転車ってのは奥が深いんだよ」というセリフに「お前らの映画は奥が浅すぎるんだよ」と突っ込む。
 あと、大阪の人はこの映画を見たら主人公の大阪弁をどう思うんだろう? 東京出身のぼくでさえ、これ大阪弁として違和感あるわあと。
 原作と違うとかなんとかそんなレベルの話でない凡作。駄作。テレビ朝日の番宣見て、なんかイヤな予感がして映画館に行かなかったんだけれど、正解だった。
 いやあ、最近まれな通俗的なテレビドラマ以下の映画。
 ただ、一瞬だけちらっとパオパオのジャージが映ったところにニヤリと。


 「スネークマンショー」
 懐かしのCD。聴いてた当時はCDじゃなかったけど。
 ウォークマンに入れて、ニヤニヤしながら街を歩いた。昔より今聴いた方が面白い。子ども向きじゃないんだな、きっと。
 エディー? エディーだろ? 細野と高橋と坂本3人そろって来てるよお。
 ああ、懐かしいし、面白い。

こちらで試聴できます


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