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藤森栄一「縄文の世界」

2008年03月05日 08時48分57秒 | 読書

藤森栄一「縄文の世界 古代の人と山河」          講談社

 考古学は他と比べて素人が参加しやすい学問だと思う。どんなに研究を重ねても、現地で遊んでる小学生の方が現場を知っていることもある。「ああ、その土器ならこっちから取れるんだよ」などと。
 諏訪の小学生はちょっと掘れば埋蔵物がどんどん出てくる環境の中、他の地域の子供たちよりも考古学に関心があったようだ。そうした子供たちを従えて発掘する在地の人々。
 「土器掘りは、小学生の間でも一つの遊びとなって流行した。子どもたちは腰へビクをつけて桑棒かついで登っていった。尖石の北側の用水堰の切り通しの土手をじっと見てまわると、きっと土器が底や腹を出している。地蜂の巣をみつけるよりゃおもしれえ、と子どもたちはたいてい二つや三つの土器を持ちかえってきた(略)」
そして発見の報に触れ、やってくる東京の大学の先生たち。考古学はこんな風に、子供たちの知的好奇心も巻き込みながら、素人玄人一緒くたになって発展してきた。
 そこには知ることの楽しさとどうしても知りたいという強い思い、そして考古学という学問に対する愛情が感じられて、読んでるこちらまでその熱に巻き込まれる思いがする。
 著者の藤森栄一は諏訪を代表する考古学者であったが、生涯在野の人でもあった。少年時代、彼に強く影響を受けた戸沢充則はやがて明治大学に進み、のちに学長になった考古学者であり、この本には「茶臼山遺跡の調査主任。後、明大講師」として紹介されている。
この戸沢先生をはじめ、キリン先生、橋本青年、松沢少年。みなが目を輝かせて掘っている姿が浮かぶ。読んでいてそのいきいきとした描写がうれしい。
「趣味者というか、悪くいえば物好きの変物、そういう名のもとに、むなしく消えてしまったたくさんな好学者たちの、生命をかけての努力が折り重なって埋もれ、その上に郷土科学が芽生える下地ができつつあったのである」
そしてもうひとついきいきとしているのは、諏訪の自然である。著者が注ぐ諏訪の自然への愛情がその描写にときに美しく、ときに悲しく彩りを添えている。
遺跡と自然。諏訪を語るのに欠かせない2つである(これを2つとも破壊しようとした県と藤森栄一たちの戦いを描いたのが新田次郎「霧の子孫たち」であった)。
 もちろん考古学は、楽しく夢にあふれているばかりではない。ここに描かれた宮坂英弌の尖石発掘には凄まじいものがある。考古学の宮と呼ばれた伏見宮の姿を見て感激した小学校教員宮坂英弌は自分も尖石を掘ってみようと思う。最初はやってきた応援も戦争が深まるにつれ、訪れるものもいなくなり、村人が白眼視する中、小学校教員の給料と蔵書をつぎ込んで、家族だけで尖石の集落を発掘した。雨漏りのする屋根、腐った畳、家の中にはキノコが生えていた。敗戦2年後、妻を失い、その2年後長男を失う。そんな中、彼は掘り続けた。彼は不幸だったのか、幸せだったのか。どちらともぼくには言えないが、その執念の凄まじさに感じ入る。
 発掘に、考古学にいのちをかけるのは、宮坂も藤森も同じ気持ちだったに違いない。その思念は出土品を出発点にし、世界中を駆け回る。インドネシアでの胎盤処理と諏訪での胎盤処理を比較したり、ユーコン川の温泉に思いを馳せる。
 その大きな視野をもって、藤森は日本の縄文世界を描いている。それは、とても魅力的で、しかし、きびしく、極端に短命な世界であった。
 縄文時代の知識そのもの、そして考古学という学問の方法やそれにかかわる人々の情熱など、この本に描かれているものは豊かで興味深い。
 ちなみに宮崎駿は「風の谷のナウシカ」を作る際、この本からインスピレーションを得たと言われている。

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