毎日が観光

カメラを持って街を歩けば、自分の街だって観光旅行。毎日が観光です。

ヴェロニク・ジャンス「星月夜」

2006年03月20日 14時51分22秒 | 音楽


 どれだけ売れたかわからないが、かつて東芝EMIは「ドビュッシー歌曲全集」という5枚組みのLPを発売したことがある。たぶんあまり売れなかった、と思う。だが、これはぼくの宝物だった。あんまり大切だったので、レコードをテープにとって、そのテープをくり返しくり返し聴いて(レコードは何度も聴くと痛むのだ)、レコード本体は大切にしまいこんでいた。
 1曲目がアメリングの歌う「星の輝く夜」で、当時高校生だったぼくはその美しい旋律(決して名曲だとは思わなかったが)をぼうっと何度も聴いた。アメリングの歌声は大仰なヴィブラートがかかることもなく、すっきりとして美しく、はっきりとした発音はまさにフランス歌曲にふさわしかった。今でも上野で聴いた彼女のコンサートを思い出す。何度も何度もアンコールに現れ、会場の電気がつけられたのにまた出てきたときには驚いた。もう20年以上前のことだ。学生服の似合う美少年だったぼくも(ごめん)、すっかり中年。風邪の治りだって悪くなった。
 アメリングによって、ぼくはフランス歌曲をはじめ、シューベルトなどのリート、バッハの世俗カンタータの楽しさ、さらに原條あき子という詩人も教わった。
 そんな遠い目をさせてしまうCDがこれ。一風斎さんのトラックバックで知りました。あらためてお礼を申し上げます。いいものを教えて頂きました。
 で、これが美しい!
 ドビュッシーの「3つのビリティスの歌」なんか、最初っから鳥肌。アメリングが引退した後、いろんな人がフランス歌曲を歌ったが、どうにもしっくりこなかった。そして嬉しいのは、あまり聴くことができなかった「星の輝く夜」やプーランクのさまざまな歌曲、またアメリングで申し訳ないが、彼女の愛唱集にあった「愛の小径」が美しく歌われている。「もう家のない子供たちのクリスマス」などもあまり歌われないから貴重だ。
 フランス歌曲(に限らず、歌曲すべてだろうが)にとって、言葉は大切。ピエール・ルイスの詩を解釈することなく「ビリティス」は歌えないし、ヴェルレーヌを考えずに「艶なる宴」は歌えないのだ。オペラ歌手がときに圧倒的な存在感で観客を魅了するようには、歌曲の世界は成り立っていない(もちろん「ときに」であって、「常に」ではないのは言うまでもないけれど)。彼女の歌いぶりはそこも見事。
 透明感のある声で、詩の解釈を歌い、けっして過剰にならない美しさをたっぷり味合わせてくれるCD。もっともっとフランス歌曲を歌ってくれないだろうか。楽しみ。
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東京都交響楽団 東京芸術劇場シリーズ

2006年03月20日 09時33分12秒 | 音楽


 表参道での聖パトリックパレードに参加しようと思ってたんだけれど、チケットをとってあるのを思い出して、いざ池袋へ。東京都交響楽団の東京芸術劇場シリーズ。小山実稚恵をソリストに迎えたブラームスのピアノ協奏曲第2番とヴォーン・ウィリアムズの南極交響曲。小山実稚恵のピアノは表現の幅が広く、素晴らしかった(ミスタッチはご愛敬か)。お目当ては、しかし、南極交響曲。なにしろ実演を見るのは初めてだし、この先いつ見られるかわかったもんじゃない。
 もともとは南極探検のスコット隊の悲劇を描いた映画音楽。それを5楽章の交響曲として作曲し直されたのが南極交響曲。スコット隊に関しては、もう稲川淳二をたばにして「悲惨だなあ、悲惨だなあ」と呟かせても足りないくらいの悲惨なできごとだ。2台の雪上車と馬とで南極点到達を目指したものの、雪上車はまもなく故障。馬も死んでしまう。人力で荷物を運びながらようやくの思いで南極点に到達したら、すでにノルウェーの旗がひらめいていた、と。さらにアタック隊は帰路、基地までたった18キロの地点で全滅。寒さと氷。その中で死んでいったスコット隊の悲劇を思い浮かべると呼吸が苦しくなるほど。ぼくのいけない癖で、わざわざそういうことを想像して一人もがくのだ。プールで泳ぎながら、沈没したロシア原潜の乗組員の心境を思ってアップアップしたり………。
 たとえどんなに明るくても、周囲がまったく同じ氷の景色で右に行く、左にいく、その方向感を喪失してしまえば闇と同じことなんだ。ああ、辛いよお。
 音楽もその悲劇を予感させる重苦しいもの。壮大なスケールで描いたノロノロの行進、と言った感じか。われわれに豊かな恵みをもたらす自然は、極地においてはその様相を変える。立ちはだかる大いなる氷の壁。それも自然のありようの一つなのだ。その自然を前にした人間たちの小さくも、しかしなんと人間くさい営み。凍傷に罹った隊員は、他の者に迷惑をかけないよう、ひっそりと一人雪嵐の中に消えていく。その寒さの中、彼は何を思って死んでいっただろう。ヴォーン・ウィリアムズの音楽の壮大さがよけい彼の存在を際だたせる。
 唯一第4楽章だけが、「タリスの主題による幻想曲」を書いたヴォーン・ウィリアムズっぽい感じがするが、他はみな大いなる悲劇が包む氷の壁。ハッピーエンドの作品を鑑賞して得られる情感とは異なるカタルシスが、しかしそこにはある。
 6月にはシェーンベルクの「グレの歌」を演奏するという意欲的な大友直人(あれもオーケストラ150人、合唱300人っていう小学校全校生徒集合みたいな規模だ)。指揮ぶりもよく、単調にならずさばいていた、と思う。
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