どれだけ売れたかわからないが、かつて東芝EMIは「ドビュッシー歌曲全集」という5枚組みのLPを発売したことがある。たぶんあまり売れなかった、と思う。だが、これはぼくの宝物だった。あんまり大切だったので、レコードをテープにとって、そのテープをくり返しくり返し聴いて(レコードは何度も聴くと痛むのだ)、レコード本体は大切にしまいこんでいた。
1曲目がアメリングの歌う「星の輝く夜」で、当時高校生だったぼくはその美しい旋律(決して名曲だとは思わなかったが)をぼうっと何度も聴いた。アメリングの歌声は大仰なヴィブラートがかかることもなく、すっきりとして美しく、はっきりとした発音はまさにフランス歌曲にふさわしかった。今でも上野で聴いた彼女のコンサートを思い出す。何度も何度もアンコールに現れ、会場の電気がつけられたのにまた出てきたときには驚いた。もう20年以上前のことだ。学生服の似合う美少年だったぼくも(ごめん)、すっかり中年。風邪の治りだって悪くなった。
アメリングによって、ぼくはフランス歌曲をはじめ、シューベルトなどのリート、バッハの世俗カンタータの楽しさ、さらに原條あき子という詩人も教わった。
そんな遠い目をさせてしまうCDがこれ。一風斎さんのトラックバックで知りました。あらためてお礼を申し上げます。いいものを教えて頂きました。
で、これが美しい!
ドビュッシーの「3つのビリティスの歌」なんか、最初っから鳥肌。アメリングが引退した後、いろんな人がフランス歌曲を歌ったが、どうにもしっくりこなかった。そして嬉しいのは、あまり聴くことができなかった「星の輝く夜」やプーランクのさまざまな歌曲、またアメリングで申し訳ないが、彼女の愛唱集にあった「愛の小径」が美しく歌われている。「もう家のない子供たちのクリスマス」などもあまり歌われないから貴重だ。
フランス歌曲(に限らず、歌曲すべてだろうが)にとって、言葉は大切。ピエール・ルイスの詩を解釈することなく「ビリティス」は歌えないし、ヴェルレーヌを考えずに「艶なる宴」は歌えないのだ。オペラ歌手がときに圧倒的な存在感で観客を魅了するようには、歌曲の世界は成り立っていない(もちろん「ときに」であって、「常に」ではないのは言うまでもないけれど)。彼女の歌いぶりはそこも見事。
透明感のある声で、詩の解釈を歌い、けっして過剰にならない美しさをたっぷり味合わせてくれるCD。もっともっとフランス歌曲を歌ってくれないだろうか。楽しみ。