毎日が観光

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家庭内神社

2006年03月02日 17時02分31秒 | 写真


 通勤途中にあるおうち。
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靴下止めと天皇1

2006年03月02日 13時22分28秒 | らくがき


 カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場の「こうもり」が面白い。その一場面。主人公アイゼンシュタインがフランス人になりすまし、もう一人フランス人になりすました刑務所所長とおかしなフランス語で会話する場面がある。笑いを誘う場面だ。
 いい加減なフランス語を言ってるうちにわからなくなり、「HONI SOIT QUI MAL Y PENSE」と叫ぶ。確かにフランス語である。会場がどっと沸くのだから、ミュンヘンの人間にも有名な言葉なんだろう。
 イギリス最高のガーター勲章にはこのフランス語が刻まれているのだ。
 エドワード3世が貴婦人と踊っているときに、その女性が靴下止めを落としてしまった。当時としては大変恥ずかしい行い。周囲が嘲笑を浴びせる中、機転をきかしたエドワード3世がその靴下止めを自ら拾い、自分の膝につけて一言「HONI SOIT QUI MAL Y PENSE」(邪推する者に災いあれ)。で、余はこのガーターをもっとも栄誉あるものとしよう、と。で、勲章の最上位としてガーター勲章が650年を経た今でもある。別名ブルー・リボン。
 にしても、イギリスの国王がフランス語を喋っている………。
 ここで頭を少し柔らかくして、「国」という概念はその時代時代によって異なることを知っていて頂きたい。今の国王と中世の国王とは違う。フランス王家と言ってもイル・ド・フランス地方を支配する王家であり、ブルゴーニュを支配するブルゴーニュ公家などと変わりがあるわけではない。またご存じのごとく、イギリスなる国もこの時代存在していない。
 どこかの市議会議員がジャンヌ・ダルクを自称し、彼女の愛国心がどうのこうのと言っているが、大間違いである。彼女が守ろうとしたのは、アルマニャック派(オルレアン公爵家)のフランス王家であり、フランスではない。フランス王家がブルゴーニュ派(ブルゴーニュ公爵家)であったら、ジャンヌ・ダルクはフランス王家と戦っただろう。それからさっきも言ったがイギリスもイギリス軍というものも当時存在していない。
 百年戦争をイギリス対フランスと考えるからおかしくなるのだ。あれはイングランド王家対フランス王家。要するに家同士の争いなのである。だからフランス王家と関係のないブルゴーニュ公爵家などは別にイギリスと戦ったりしていない(今の国という概念では考えられないでしょ?)。
 というか、イギリスの味方であった。
 そこでイギリス王家はブルゴーニュ公爵フィリップにガーター勲章を贈った。今の国の概念で言うと、日本とアメリカが戦争していて、でも北海道は参加していなくて、アメリカは北海道知事に勲章を授けるような話だ。
 そしてこの戦争の途中、イングランドは快進撃をとげ、ついにノルマンディ公爵として認められる。
 ね? 変でしょ? フランス王家に勝って、なんでイングランド王家がフランスの地方名の公爵を兼務するのか。
 つまり国という概念がまるで違うのだ。
 このブルゴーニュ公爵家だって、その後男系の断絶によってハプスブルク家とつながり、ブルゴーニュ公爵の制定した勲章はオーストリアの勲章となり、今ではスペインの勲章となっている。同じ現代にしても、ヨーロッパと日本とでは国家観が違うのである。
 伊勢崎のジャンヌ・ダルクさんは、自分の思いこみだけでなく、少し勉強なさった方がよろしいかと思う。
 ここでガーターはちょっとお預け。次回はさきほどのイングランド快進撃のきっかけとなった有名なアザンクールの戦いについて少し道草(いつになるやら)。
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