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大正10(1921)年に設立された盛岡貯蓄銀行の新社屋として昭和2(1927)年に完成。 設計は地元・盛岡出身の葛西萬司(葛西建築事務所)が担当しました。 盛岡貯蓄銀行は昭和10(1935)年に岩手貯蓄銀行と改称、同・18(1943)年には一切を岩手殖産銀行(現在の岩手銀行)に譲渡解散し、建物は昭和33(1958)年に盛岡信用金庫が購入しその本店として使用され現在に至っています。 岩手県盛岡市中ノ橋通1-4-6 11年08月中旬他
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一部にレンガや鉄骨を使っていますが基本構造はRC造。 関東大震災以後の銀行建築ではスタンダードな構造であり、現存する大正末~昭和戦前期の銀行建築は外壁に花崗岩を使用した「白い」建物が非常に多い印象です。
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フェスツーン(花綱飾り)のような装飾。 中央の文字は信用の「信」に読めます。
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軒蛇腹の装飾。
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昭和の初めは金融恐慌・昭和恐慌など不穏な経済情勢を反映し、金融機関には経営の安定性を表現する為に適した古典様式の建物が好まれました。
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正面の6本の円柱は古典的、それでも柱頭は古典様式の範疇に含まれない新たなデザインが施されています。
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窓越しに内部が見えました。 中2階・中3階の小室があるようです。
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背面は立法体を積み上げたような形。
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行員通用門の扉。
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2階の応接室や扉のガラスなどにはアールデコ風の装飾もあるという。
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斜向かいの辺りにある(旧)岩手銀行中ノ橋支店(旧盛岡銀行本店 明治44年築・1911)。 葛西が恩師の辰野金吾と共同経営した辰野葛西事務所の作品。
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支店は既に移転し建物は閉鎖、今後は改装・調査された上で記念館として一般公開(約2年後?)される予定になっています。
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