
かつての城下町であり現在は人形の町として知られる岩槻に残るこの建物は、大正時代に中井銀行岩槻支店として建てられたもの。 正確な建築時期については不明ですが、基礎部分が誤って隣家の敷地にはみ出し、それを了承した隣家に感謝する大正10(1921)年の書状が残されており、その中で既に竣工している事を示す一文がある事から遅くともその時までには完成していたようです。 埼玉県さいたま市岩槻区本町3-13-9 11年02月上旬他
※参考『続・首都圏 名建築に逢う』 2009
『建築家 保岡勝也の軌跡と川越』 2012

木造かと思いましたが実はレンガ造。

中井銀行は東京にあった地方銀行で日本橋に建てられていた大正6(1917)年築の本店は保岡勝也の設計でした。 浦和支店(1914?)も保岡の作品でしたが、この岩槻支店の設計者は不明のようです。

直線的な建物ですが入口上部のみ半円アーチ。

岩槻は日光御成街道の宿場町でした。 日光東照宮の造営に関わった工匠達がここに留まり、周辺に数多く植えられていた桐を使って箪笥を作ったり、桐の粉を糊で練り固めて人形作りを始めたのが現在の「人形の町」へと続いているそう。


赤茶色のタイルが良いアクセントです。

ショーウインドウに飾られた古写真には昭和銀行の文字。 中井銀行は昭和3(1928)年に昭和銀行に買収され、度重なる銀行の合併の後にこの建物は昭和35(1960)年から人形店の東玉(とうぎょく)の所有となっています。

腰部分は石貼。


ちょうど今、岩槻では「まちかど雛めぐり」を開催中(3月17日まで)。 人形職人の多くの作品や各商店に伝わる古い人形等が街を飾って観光客の目を楽しませているようです。
良く見れば家じゃなくってお人形だった。
何て慌てもんの私でしょうか?
ここを訪れたのは2年前のちょうど今頃でした。
早朝に着いた時は「売りつくし」の旗はまだ出ていなかったのですが、
太陽が上がってくるのが遅く、向かいの建物の影が無くなるのを待っていたら店員さんに旗を出されてしまいました(汗)。
駅前には東玉さんの本店らしき立派な建物があったので、
この大正館は別館かギャラリー的な使われ方をしているのかも知れませんね。