日本近代彫刻の先駆者であり、東穂高村(現・安曇野市)出身の荻原碌山(1879~1910)の作品と資料を保存・公開する為に建設された個人美術館(昭和33年築・1958)。 まるで教会のような佇まいの建物は早稲田大学理工学部建築学科の主任教授だった今井兼次の設計によるもの。 キリスト教に傾倒し洗礼を受けた碌山にちなんだ建物は、①碌山の精神に通じる教会風の建物、②明治近代化のシンボルであるレンガを用いる、③北欧の風土に似た安曇野の自然と融合する構造、という事を意図して設計されたといわれています。 長野県安曇野市穂高5095-1 11年03月中旬
※参考『近代化遺産 ろまん紀行 東日本編』 2003
29万9100余人から873万円もの寄付が集まって誕生した美術館。 建設工事には地元中学の生徒達も参加しレンガや玉石運びに協力したという。
屋根に載る鐘楼。 本当に教会のような建物です。
頂には不死鳥(フェニックス)。
構造は鉄筋コンクリート造で外壁にレンガを使用しています。
今井兼次(1895~1987)は昭和22(1947)年に妻・マリア静子を亡くした事をきっかけにカトリック受洗。
戦後においても戦前の表現主義的な建築を設計した今井ですが、この建物にはそうした要素は無いように思います。
荻原碌山(本名・守衛)は農家の生まれ。
当初は絵画を志し渡米するも、フランスで見たロダンの「考える人」に深く感動し次第に彫刻への志向が強くなっていく。
取っ手に注目。 ドアノッカーもキツツキ型をしていて面白いですね。
恋の三部作といわれる「文覚」「デスペア」「女」といった作品は、郷里の先輩でパトロンでもあった相馬愛蔵の妻・黒光(こっこう)への叶わぬ想いや絶望感、心でしか結ばれない苦悩などから生み出されたものという。
LOVE IS ART、STRUGGLE IS BEAUTY.(愛は芸術なり、相剋は美なり) 守衛の求め続けた言葉が刻まれる。
3月の信州はまだ寒い。
積み上げたレンガに温もりが灯る。
ロマンチシズムな建物はひと際気高く美しい。
ありがとう御座います。
何年か前に訪問した教訓から、写真を撮るなら冬場の早い時間中と思い決め打ちして再訪しました。
展示室内は撮影不可でしたので写真がありませんが、それ以外は建物の雰囲気を上手く撮れたかなと思います。
調べると色々なエピソードが出てくる建物なので深くまで追求出来なかったのが少し残念ですね。